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長  宗  我  部  元  親  墓



   ちょうそかべもとちかのはか



   高知県史跡           指定年月日 : 昭和28年 1月29日



   高知県高知市長浜天甫寺山  ・  高知市
         


   高知市街から長浜を経て桂浜に至る県道の、南海中学校より500m程桂浜寄りの左手にある小高い山が天甫寺
  山で、墓は県道の上り口から北へ100m、山の中腹にある。
   元親は、天正13年(1585)春に四国を統一したが、同年7月、豊臣秀吉の四国征伐に降伏、土佐一国を安堵され、
  以後、秀吉に従い小田原征伐、朝鮮出兵に参戦しつつ、土佐一国支配を確立したが、慶長4年(1599) 5月、京都の
  伏見で病死した。 持ち帰られた遺骸は、この地に埋葬された。
   当時、長宗我部氏の居城は浦戸城で、城下町は天甫寺山の南側にあった。 法号は、雪蹊恕三大禅定門。
   苔(こけ)むした宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、4男で後継者盛親が建立したと伝えられるが、長宗我部氏は翌年滅亡
  した。