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能  茶  山  山  上  窯  跡



   のうさやまさんじょうかまあと



    高知県史跡                       指定年月日 : 昭和47年 5月 6日



   高知県高知市鴨部  ・  (個人)
         


   土佐道路の南側で、約30mの能茶山大地の頂上の平坦部にある。
   今は窯そのものはなくなっているが、北に続く高い斜面に、能茶山開窯当時の登り窯の底部を実測してみると、
  全長約20m、窯の最大幅は約7m、最小幅3mで7室があることが判明している。 『陶山紀事』中巻にある「陶器窯
  之図」では、七ツ続きの窯(7室)で、そのなかで実質焼成室は5室ある。
   江戸時代の後期、磁器の需要が強くなってくると、四国の各地で磁器窯が開かれた。 土佐の能茶山窯は、他
  より遅れて文政3年(1820)に開窯され明治初年に至る。 明治になって民営になるが、それ以前は藩営であった。
   窯跡への坂道は、藩普請(ふしん) の石畳が残っている。