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安  芸  国  虎  墓



   あきくにとらのはか



   高知県史跡           指定年月日 : 昭和28年 1月29日



   高知県安芸市西浜 浄貞寺(じょうていじ)   ・  浄貞寺
  


   安芸地方の豪族安芸国虎は、長宗我部元親との戦いに敗れ、永禄12年(1569)、浄貞寺(じょうていじ)で自刃(じじん)
  
する。 この時、老臣2人も殉死したとされる。
   浄貞寺には、安芸国虎の墓とされる高さ1.46mの宝塔がある。 この宝塔は、形式的にみて室町時代末のものと
  みられる。 軸部に扉が刻され、笠部の高さは一般のものより高い。 この塔の地下に、埋蔵施設があれば墓塔と
  なり過去に塔が移動されずに、埋蔵施設がなければ追善供養塔となる。
   国虎墓前の殉死した重臣の両墓は、方形状の身部に笠をのせるもので永禄12年の紀年銘もあるが、このような
  墓標は江戸時代中期以降に出現するものであろう。 このゆえに、この両墓は江戸時代中期以降に造立された供
  養塔と考えられる。