いちじょうのりふさのはか 高知県史跡 指定年月日 : 昭和28年 1月29日 高知県四万十市中村丸の内 ・ 四万十市 一条教房は、兼良の長子で土佐一条氏の開祖。左大臣、関白の顕職にあったが、応仁の乱を避け、応仁2年 (1468)に荘園がある土佐国幡多庄に下向、中村に居館を置いて土着し家領の回復に努め、文明3年(1471)ごろ までに、一円支配を達成した。 教房は、土佐の守護大細川氏や勢力急進する長宗我部氏と遠交近攻して幡多庄を大名領国化し、中村の街 を京都風に形成して京都の文化を僻遠(へきえん)の地に移入して、独特な地方文化を育成した。 教房は、文明12年(1480)、58歳で中村御殿で没し、円妙院妙華殿と諡(おくりな)された。 妙華寺は、一条氏の菩提寺となった。 寺の北の谷にある墓は、五輪塔で江戸時代に長雨による山崩れで埋もれたが、明治時代に発掘、復旧された。