きのなついやしきあと 高知県史跡 指定年月日 : 昭和28年 1月29日 高知県香南市野市町母代寺 ・ 香南市 紀夏井は、平安前期の官人にして、播磨(兵庫県)・讃岐(香川県)・肥後(熊本県)等の国司を歴任したが、貞観 (じょうがん)8年(868) 応天門(おうてんもん)の放火事件に、異母弟豊城(とよき)が関与したため縁座(えんざ)して土佐に流さ れた。 この夏井の流された土地は、旧香美郡野市町佐古の亀山地方であるといわれていて、亀山付近から古代の瓦が 出土したことから紀夏井邸跡と考えられた。 その後、亀山付近の考古学的調査が進み、亀山からは数多くの登窯 (のぼりがま)や焼き損じの瓦や須恵器(すえき)片を捨てる灰捨場も発見され、これらは邸跡関係の瓦ではなくなった。 亀山は瓶の破片が見つかるので、瓶山と名付けられたのであろう。 亀山で焼かれた瓦は11世紀のもので、京の大極殿、法性寺(ほうしょうじ) の瓦に使われた。