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有  井  庄  司  墓



   ありいしょうじのはか



    高知県史跡          指定年月日 : 昭和28年 1月29日



   高知県幡多郡黒潮町有井川  ・  黒潮町
         


   有井川の八幡宮傍らの墓地で一際目立つ石塔は、本名を豊高、三郎左衛門と称した庄司(庄官)の墓と伝えら
  れる。
   元弘の乱で鎌倉幕府討伐に失敗した後醍醐天皇は、元弘2年(1332)に捕らえられて隠岐に流された。 天皇の
  第1皇子尊良親王も、土佐国幡多に配流され、大方郷奥湊川の大平弾正の館に留まり、その後に有井の庄司に
  迎えられた。
   庄司は、自宅の近くに不遇の親王の居館を建てて何くれとなく忠勤に励み、親王に深く信頼された。
   北条氏滅亡の元弘3年(1333)、親王は帰京、庄司を伴おうとしたが、老齢を理由に辞退した。 その後間もなく
  庄司は他界。 京都で訃報に接し深く哀悼した親王が、有井の遺族に寄贈した宝篋印塔(ほうきょういんとう)がこの
  石塔である。