

南国市稲生は、高知県の県庁所在地である高知市の東部、五台山・介良地区に隣接し、南国市の南西部に位置している。地名は、「稲がよく育つ肥沃な土地」という意味からと推測される。
地勢は、地域を貫流する下田川を挟んで、東西に長く伸びた地形である。平野部は、米の二期作で知られた香長平野の一部をなしている。小集落としては、衣笠、中谷、土居ノ谷など13地区からなる。
人口は2008年8月末日現在で、1,861人(世帯数783)。1970年には2、400人を超す数であったが、近年、減少している。また、高齢化率も32,4%と少子高齢化の波は、当地にも様々な影響を及ぼしている。
稲生地区は古くから、南北の山より良質の石灰石が産出され、藩政時代は土佐藩の重要な資源となった石灰工業を中心に発展してきた。また、米作を中心とした農業も盛んであった。俗に「稲生三白」と呼ばれる、「石灰」、「米」、「白桃」が主要な産物である。
近年は石灰工業が原石の減少によって操業が縮小されており、保護者の職業においては、かつては石灰工業と農業に従事している家庭が大半であったが、現在は、建設業、公務員やサービス産業等、職種も多岐にわたっている。
校門を入ると広い運動場を囲んで白亜の校舎と体育館がある。かつては、歴史の重みを感じさせ、風格のあったそれぞれの木造建築物であったが、1984年に校舎、1990年には体育館が建設され、稲生地域の教育・文化・スポーツのセンターとしての役割を果たしている。
学校の嚆矢は、江戸時代の寺子屋にさかのぼるが、明治5年の学制発布をうけて、設立された。以来、稲生尋常小学校、稲生村国民学校と各時代において名称は変化したが、一貫して、当地の初等教育を担ってきた歴史をもつ。
沿革史によれば、明治18年に、初代の文部大臣、森有礼が教育事情視察のため来校したとあり、旧稲生村当時より育英事業に力を注いできた歴史がある。
当地からは、二期作の創始者である「衣笠早稲」の吉川類次翁の他、石灰工業に新工夫を施した数多くの研究者を輩出している。
開校以来約3,800名の卒業生を送ってきたが、著名な人物としては、日本近代史の権威、井上清京都大学名誉教授、植物学の井上浩博士、郷土史家の橋詰延寿氏、元衆議院議員で石灰工業界の重鎮でもあった井上泉氏(いずれも故人)などの俊秀がいる。
2009年10月現在の在籍児童数は85名。数年後には60余名になると予想されているが、こうした歴史と伝統をふまえ、教職員は日々の教育実践に精励している。
(2009年10月、第35代校長、竹内直人記)