校歌音楽が流れます

教育方針 児童数の変遷 学校沿革
PDFで開きます。×印で閉じてください。
教育経営方針  児童数の変遷  学校の沿革
    学校通信清流

校区の概要

伊野は高知市の西方約12km、仁淀川の左岸に位置し、古文書には地名「大野郷」とみえ、山内氏入国後、土佐藩御用紙の生産地となった。以来、明治・大正・昭和にかけて製紙業は益々発達し「紙の町・伊野」の名は、大国様と共に広く世に知られている。
昭和29年、周辺の八田、宇治、川内、神谷、三瀬村との合併を終わり、現在では人口25000名を越す町となった。伊野小学校区は、旧伊野町の区域である。校区内には、土佐電鉄(明治41年)、JR(大正13年)の便もあり、県交通バス、土佐電鉄バス、JRバスの路線も通じ、国道33号、195号2等3類2号(山の手線)の完成と共に交通は極めて便利となり、製紙業、商業、農業等の産業も盛んで、諸官庁、金融機関、文化施設、病院等もあり、商工業を中心に中間都市としての活気のある町である。
明治7年、栽培学者が創立せられ、明治9年に伊野小学、明治12年に伊野小学校と改称し、その後幾多の変遷を経ながら将に120余年、町勢の発展と共に校運も隆昌の一途をたどり、学校創立以来、多くの卒業生を出している。これら本校出身者は、、明治・大正・昭和にわたり県内外の各職場、職域で活躍し、紙業界開拓の有名人をはじめ広く各界知名の士が多い。

Back