学校の沿革
沿革の概要

明治時代
8年  本校の創設。校舎は旧藩時代の米倉を以ってこれにあてるが、設備においてはきわめて不完全。
30年  1月12日に前年度に起工した校舎が落成(長さ12間 幅4間)。
31年  旧藩時代の米倉を代用していた教室の改築落成。
36年  3月31日に普通教室奨励規定による資金20円を学校基本財産に入れる。
39年  11月に畑地146坪の学校園の設置に着手。
40年  3月に学校園の整地終了。 知事よりの資金20円を基本財産に入れる。
41年  義務教育の延長に伴い初めて第5学年を置き、6学級編成となる。
12月に校舎増築、校地拡張の必要から工事に着手。
校内にあった村役場を門前に移し、明治29年新築の校舎を移転して主校舎の東に接続する。右工事中、45日間二部授業を実施。
42年  2月 8日に長さ15間、幅3間半の校舎建築に着工。6月26日には校舎落免便所渡廊下も同時に設置。
大正時代
5年  本校に高等科を置く。4月には校庭拡張校舎増築の必要から校庭378坪より840坪となる。
校舎は、二階建てとし、南北に平屋増築と同時に一部便所の移転および一部便所の新設。また、明治42年の校舎を西に移転、南北とし、使丁室も移転。12月 5日には校舎増築・移転完成。
6年  10月 8日に両陛下の御真影を奉戴。
昭和時代
16年  4月1日に高知県香美郡片地国民学校と改称する。
22年  4月1日に高知県香美郡片地村立片地力、学校と改称する。
23年  4月に6.3制実施により高等科を分離し、鏡中学校が創設される。6月に排水溝新設、薪小屋物置移転改築。
7月には東校舎大修理完成。11月に西校舎修理、公民館として講堂兼用となる。
29年  鏡中学校跡に木造二階建8教室を起工。同年の町村合併により逆川分校が本校の分校となる。9月1日に町村合併により土佐山田町立片地小学校となり、増築竣工、新校舎へ移転する。
32年   南舎排水路、防火用池が完成。
34年  4月に北舎東に児童公園をつくる。5月に講堂新築を起工し、9月6日に落成。
39年  11月に用務員室を拡張。12月には北校舎便所に洗い場を増設。
40年  8月に東門完成。
42年  9月に西井戸に給水ポンプを設置。プール竣工。
47年  10月にグランドピアノ設置。
48年  3月に交通公園を設置。4月には逆川分校を閉校し本校へ統合する。
51年  10月に校舎改築落成並びに創立百周年記念式を挙行する。
59年  学級増に伴い特殊学級教室を普通教室に改造。
63年  2月に東校門前通路を舗装、職員駐車場舗装。4月には視聴覚室を普通学級に改造。
平成時代
2年  4月に家庭科室を特殊学級に改造。プレハブ(家庭科室)を増設。
4年  3月には屋内運動場竣工。
5年  3月に体育倉庫落成。4月にプレハブ撤去。9月に屋内運動場南に足洗い場、自転車置き場完成。
12月に町指定同和教育発表会。
6年  2月にプール竣工。3月に中庭に生活科コーナー完成、庭木移植。
7年  8月に二階便所竣工。
8年  10月に鶏小屋完成。
9年  平成9年度特色ある教育課程研究推進校県指定を受ける(1年間)。11月に正門及び北西門門扉完成。
また同じ11月に第14回伝統的工芸品月間図画コンクール四国地区審査学校賞を受賞。
11年  2月  第44回高知県青少年読書感想文コンクール高知県知事賞受賞
14年  学力向上フロンティア事業研究推進校の指定を受ける(3年間)。
15年  地域博物館連携事業(JST)で龍河洞博物館との連携開始。
8月には校舎大規模改修3年日工事終了(多目的教室設置、なかよし広場)。
16年  2月6日に学力向上フロンティア事業研究推進校の中間発表会開催。11月12日には当該推進校の発表会開催。
17年  6月に文部科学省指定「伝え合う力の育成」を受ける(2年間)。
18年  11月30日に同上「伝え合う力の育成」の調査、研究発表会開催。
19年  5月29日に高知県議会総務委員会が来校。
21年  1月23日に文部科学省指定「伝え合う力の育成」の調査、研究発表会開催。
23年  9月に校舎の耐震工事が完了。
24年  12月に高知県理科教育研究大会を開催。
25年  4月に佐岡小学校を統合。
11月に理科教育の研究・推進につき教育研究実践表彰を県教育委員会よりを受賞。
児童数の推移(単位:人)