同窓会記念講演

演題「私の歩んだ医学医療への道 50 年」

講師 井上馨氏(高校第一回、昭和二十五年卒)

【 はじめに 】

 講演の機会を与えて下さった同級生でもある故・中村富和同窓会会長、並びに県立安芸中学校・安芸高等学校校長、森暁先生、教頭の佐藤章先生に感謝します。中村前会長と、昨年亡くなられた同じく同級生の元会長の須藤國彦君に深い哀悼の意を捧げたいと思います。

 昨年の十月頃、中村会長より突然に私のところにお電話があり、「 来年度の同窓会で講演をしてもらいたい」 とのお話があり、「 君が医者になった理由やその過程について、医療の現場、新しい医学の話など気軽に話してもらいたい」 との要請がありましたので喜んでお受けした次第です。

 私達同期生にも既に3人がご講演しております。帝国石油副社長にまでなられた小松直幹君と今、弁護士で裁判長を歴任された上村多平君、最近 YKK 副社長兼副会長をされた西崎誠次郎君などがいらっしゃいます。私も一度は講演してみたい、と希望があり実現したことを光栄に存じます。本日はその主旨に基づいて語ってみたいと思います。

【 医学を志したきっかけ、その過程 】

 私は安芸市土居の出身で昭和 25 年第1回安芸高の卒業生であります。私が医学への道を選んだのは戦時中、広島、長崎に原子爆弾が投下され、その放射能で被爆した悲惨きわまる患者さんの治療に全身全霊を打ち込んで活躍された長崎大学医学部教授の永井隆博士の姿を映画で鑑賞して強く惹かれたからです。「よし、自分も医者になろう」と決め、父親に相談した所、全面的に賛成してくれました。

 父は農家の次男に生まれ、本家を継ぐ兄に家田畑を譲り分家して井ノ口、山田から現在の土居に移り住みました。僅かの自作の田圃以外は殆どが小作農でそれでも約 1 . 8 へクタールの田んぼを耕し農繁期には田野や奈半利から約20人のお手伝いさんを雇い約20 日間手伝ってもらった記憶があります。父は学校も小学校のその上の高等科二年の学歴しかなく息子には高等教育を受けさせたいとの希望を持っていました。

 母の実家が安芸市川北にあり約 4 . 5 へクタールの田圃を持つ農家でした。その祖父に相談したところ、「水呑み百姓が子供を東京の医科大学に7年も8年も学資を送るとなるとつぶれてしまうぞ」と大反対をされたそうです。結果的には倒産しましたが、私は教育に反対する祖父を恨み、以後一度も会うことはありませんでした。私は7人兄弟の長男で、父は以下の弟妹達の教育にも大変困難であったと思います。安芸高までは卒業させたようです。

 学費の滞りもなく昭和33年3月無事に東京慈恵会医科大学を卒業しましたが、同時に父は高利貸しや知り合いからの借金で実家は倒産することになりました。伯父の計らいで 10 年ローンを組んで次男が実家を継ぐことで離散はまぬがれました。

 私はそのため仕送りがなくなり、アルバイトをしながら1年間インターン研修し、医師国家試験に合格し、すぐ民間病院外科に就職し働きました。 3番目の弟は既に学費の掛からない防衛大学に入り、4番目5番目の弟は明治大・中央大に合格しましたので、私と防衛大学の弟が共同で学費を援助しました。

 弟達の大学卒業を見届け、更に外科学を学ぶため大学第1外科教室に入局し、研究と診療に従事しました。大学勤務中はその7年間は無給で、民間病院や診療所のアルバイトで親子5人の生活を支え、苦労の連続の始まりでした。約10年の大学病院の勤務を終え、大学病院で行う手術を民間でやりたいという夢を抱き、開業資金を作るため約2年間川崎にある医療法人の病院で外科医長として働きました。開業資金の 1 / l2 しか出来ませんでしたが、銀行に開業資金を申し込んで断られ、六畳一間の団地生活で自己財産はなく、困っておりました。

 丁度その頃私共安芸高第1回卒業で東京在住同期会(妙見会)に出席した時に山本畝雄君に会い、話した所快く銀行融資のための連帯保証人になってくれました。彼は網元の息子さんで父親は室戸でマグロ船団を組んで遠洋漁業を行い、マグロを東京築地で売りさばいて利益を上げているとの話でした。私も目黒の立派な自宅を訪問したことがありました。そのおかげで銀行融資を受けて150坪の土地を購入し、昭和45年井上外科胃腸科医院を開業することが出来ました。

 彼に対する感謝の念とその感激は今でも忘れることはありません。その6年後に 350 坪を買入れ鉄筋コンクリートの一部地下1階地上4階の91床の病院を設立し現在に至っております。その時の資金の連帯保証人は業者がなって下さり医院での実績も考慮されスムーズに事が運びました。50 年間を振り返ってみますと、人生には必ずチャンスが巡ってくるもので、そのチャンスをものにしてチャレンジし真実一路に努力すれば、必ず2回か3回かの運が開いてくるような気がしました。皆さんのお考えは如何でしようか?

【医療に現場とその実際】

 私が外科医になって今年で47年になります。此の間の総手術例は約7,000例で、開業後は約3 , 000例になります。

 手術適応があれば積極的に行って参りましたが、時代の変遷とともに医療も日進月歩と発展が早く考え方も変わって参りました。現在では、胃潰蕩や十二指腸潰傷は殆ど切らず、薬で治るようになりました。

 今回は開業以来30年間に行った一般的な手術例と現場の医療の実際をお話してみたいと思います。

―中略―

この後、貴重な病気の患部や手術の現場のスライドを見せていただきながら、循環器や、消化器疾患に対する治療の実際をご説明いただきました。統合失調症の男性が異物を沢山食べてしまい、それを取り出す手術の様子やマジックやサインペン、金具のようなものが出てきたのには驚きました。

最後に健康な生活習慣の条件として、

1 食塩制限7g/日:このうち、調味料として添加する食塩は4g/日以下

2 適正体重の維持

標準体重(22×[身長(m)]2乗)の+20%を超えない。

3 アルコール制限:エタノールで男性は20~30g/日(日本酒約1合)以下、女性は10~20g/日以下

4 コレステロールや飽和脂肪酸の摂取を控える

5 運動療法(有酸素運動を継続する)

6 禁煙

を勧められました。

(文責 佐藤章)

井上馨氏プロフィール

1931(昭和6)年 安芸市生まれ。

学歴

1950(昭和25)年 安芸高等学校卒業

1958(昭和33)年 東京慈恵会医科大学卒業

1962(昭和37)年 東京慈恵会医科大学第一外科学教室入局

1967(昭和42)年 助手

1972(昭和47)年 医学博士

職歴

1972(昭和47)年 片倉病院外科医長

1974(昭和49)年 井上胃腸科外科医院開業

1980(昭和55)年 井上病院(91床)設立、現在に至る

1985(昭和60)年 日本私立病院協会理事

1990(平成2)年 日本外科学会認定 認定医

1996(平成8)年 八王子医師会理事

学会関係

1998(平成10)年 日本医師会認定 産業医・スポーツ医

2004(平成16)年 日本外科学会認定外科専門医

所属学会

日本外科学会会員

日本臨床外科会員

日本脈管学会員

脈管学雑誌の記述(生体組織の物性に関する研究、特に血管系組織について)

胃と腸雑誌の記述(急性虫垂炎に併発した多発性虫垂憩室の一例)