学年別同窓会の紹介

学年の同窓会を、毎年、あるいは数年に一回、開かれている同窓生がおられますので、いくつかの学年の同窓会をご紹介します。それぞれの幹事の方に原稿を書いていただきました。どうもありがとうございました。

39会の活躍

 私達は昭和三十九年三月に卒業した事で39会の名称がつけられました。昭和二十年生まれということで上下の学年に比べ、人数は少ないし、学年対抗の競技等では、勝てない事が多かったという記憶があります。でも何か負けない事が出来るのではと、そんな気持ちが皆の中にあったのではないでしょうか。五十歳を目前にした頃友人がぼつぼつ亡くなるということが聞かれ始めました。

忘れもしません。平成7年阪神淡路大震災のあった年に、関西のある友人に会う事がありました。その時に一度関西で同窓会が開催できたらいいのにね。そしたら出席できるのにねー。

 それまでも時折の同窓会はありましたけれど、県外での開催は一度もありません。それから急きょ、準備に取りかかり名簿の整理、案内状の作成。平成七年十一月十八日、京都での同窓会にこぎつけました。安芸と高知に住む人はバスを貸し切り、東京、名古屋、大阪、奈良、神戸、下関等から四十八名が集合。紅葉を楽しみながら、同窓会を開催する事が出来ました。

その時以来話がまとまり、二年に一回くらいなら、旅行をしながら、同窓会も良いのではと言うことになり二回目、平成九年「九州湯布院」。三回目平成十一年「鳥取三朝温泉」。四回目、平成十三年「和歌山白浜」。五回目平成十五年「岐阜飛騨高山と白川郷」。六回目、平成十七年、「山口防府天満宮、秋芳洞と萩の旅」(この時は、還暦祝という事で赤い衣裳を身に付けお祓いをしてもらいました。)

そして平成十九年「京都、映画村、琵琶湖遊覧、雄琴温泉」の旅で七回を数えるに至りました。又、今年からは毎年の旅行という事になりました。そして毎年春には内原野にて花見会、夏にはビアガーデンと季節に応じた集まりもあり、これもひとえに39会の会長始め、高知及び安芸の事務局の方々の協力があってこそ、ここまで続けてこられた宝物ではないでしょうか。旅行(同窓会)に出席できるという事は家族の理解がある事を幸いに思わなければなりません。

 それぞれに事情や親の介護、孫のお守等、又自分自身の健康問題が出てもおかしくはない年齢です。この時ばかりは自分の為に楽しく思い出になる時間を作って元気で行けるうちは行きましょう。

     県立安芸高等学校三十八年度卒業(39会)横山陽子

     39会連絡先 会長  竹内忠吉 

三期組雑念

昭和二十年八月十五日、日本、無条件降伏する。翌二十一年四月、三期組は高知県立安芸中学校に、女子は高知県立安芸高等女学校にそれぞれ入学する。

 敗戦直後であり、食べるもの、着るもの、十分なものは何も無い時代、教科書なども同様であった。

 一年次途中で、六、三、三制の学校制度への移行。二学年に進めば、本来ならば、下級生が、入学してくる筈であるが、入学はなし。従って二年生に進級しても、最下級生のまま、三年生になっても同様だった。加えて、三年終了時に一度、卒業式を迎える。

卒業証書に書いてある内容は、高知県立安芸高等学校併設中学校となっており、ここで旧制は、終わりとなる。引き続いて希望者はそのまま高校一年生として在学。地域の新制中学校からも、入学がありました。高校一年は、旧制入学から数えて四年になるも最下級生の存在。高校二年になってはじめて下級生が出来た。そして、二年生から初めて男女共学制が実施された。

 翌年三年生となり、二学期に入ると修学旅行の計画が持ちあがり、小生も計画委員の一人となる。委員長に選ばれたのは、仲田静文君で就職後若くして他界されました。

計画された内容は三方面。その一は関東方面、その二は関西方面、その三は北九州方面と決まる。秋も深まるにつけ、修学旅行の夢がふくらむ。そこで学校側から出された話は、中止とのこと。説明では、旅先での食糧の確保がむつかしいとのこと。その時は、がっかりしたものだ。三学期に入りやがて卒業式を迎える。進学する者、都会に就職する者、地元に残る者、様々で早、五十有余年を経過して現在に至る。不幸にして他界された者も七十余名になるのではなかろうか。

 このように、不安定な社会情況の中で、育ってきた三期生は、大いに修学旅行なるものに共通した思いがある。従ってここ二十五年余においては、一泊二日の同期会を楽しみにして、一回の計画で六十名から七十五名余が集って楽しい時間をすごす。

東部方面からは自転車通学、砂利道の国道を六年間、よく頑張ったものと思う。

 先日、実施した湯の郷温泉の一泊旅行でも、そんな通学の苦労話しにも、花が咲いておりました。昨今では、何とか元気なうちに旅を楽しもうじゃないかとよく話がでる。

来年の計画は伊豆半島下田方面とおおむね固まっている。同期生は、本当に良いものです。

              安芸市川北在住  植田康夫

安芸高第一回同期の同窓会報告

 世話人代表  山崎 勲

 

 安芸高第一回同期の同窓会が、平成十九年七月二十八日開催の同窓会総会の記念講演に同期の東京都八王子市在住の井上病院院長の井上馨さんが、来高していたのを機に、翌日の七月二十九日に、世話人(長野幸祐、鍵山志、小松蓉子、山崎勲)が、四年ぶりの同窓会を、ホテルタマイにて開催しました。

 同期の同窓会とは、昭和二十二年の学制改革による新制高等学校の第一回生(昭和二十五年三月卒業)一三六名、旧制安芸中学校第四十五回生(昭和二十四年三月卒業)十五名、旧制安芸高等女学校四年修了生(昭和二十三年三月)五十八名、第二十六回生(昭和二十四年三月卒業)七十一名、計二八〇名の構成メンバーです。そのうち、逝去者四十八名、住所不明二十名を除く二一二名の方に、案内状を送付し、結果、出席者四十二名、欠席者一〇四名、返戻四名、逝去者四名、返事なし五十八名でした。同期生は、今年で七十七才の喜寿となり、健康のため、家族の介護のため等、平成二年、平成七年開催の八十七名の半減の参加となってまいりました。参加者の内訳は、男子十八名、女子二十四名、県外からも(主に関東地区)十名の参加がありました。恩師も畠中秀雄先生がご逝去され、安岡一先生は健康のため、岡崎豊先生、野島昌子先生は所用のため欠席でしたが、母校の安芸中高校から森暁校長先生が参加していただき、母校の現状をお話してくださり、花をそえていただいた事を改めて感謝申しあげたいと思います。

 次回は、三年後、高知市にて開催の予定ですが、同期生は、健康に留意し、次回も多数参加されることをご期待申しあげ、同期同窓会の報告とさせていただきます。

3期生里帰り同窓会(平成一八年六月一○日)

野島昌子先生による保健体育授業(創立七○周年記念会館にて)

十四年後の同窓会

林 義人

 いつかはと思っていた。平成六年に安芸高校を卒業した私は、生まれ育った馬路村に就職した。年を重ねる毎に同窓生と会う機会も少なくなり、卒業アルバムを見ては中庭で笑っている自分達を懐かしんだ。またこの中庭で写真が撮りたいと思いながら、気がつけば三十歳を過ぎていた。

昨年の一月、思い切って各ホームの同窓生に声をかけた。皆、快く世話係を引き受けてくれ、同窓会準備会を立ち上げた。同窓会と言えば飲み会になるが、その前に安芸高校で集合写真を撮ろうと提案した。同窓会事務局である、佐藤教頭先生に相談し了解を得た。日程は一年後の一月二日に決めた。準備会を数回開き、同窓生の情報交換をしながら一人でも多くの参加を呼びかけた。

年が明け当日が来た。午後三時半、安芸高校に来た私は本当にみんなが来てくれるだろうかと不安を募らした。集合時間の四時になると、続々と来てくれた。そして、中庭で念願の記念撮影をした。卒業から十四年が経ち、体型は少々変わったが、笑顔は当時のままだった。私は懐かしさとともに嬉しさを感じ、思い切って同窓会を集い良かったと思った。腰が曲がる頃にまた撮りたい。

三十五年目の再会

五年ぐらい前に、高知支部の同窓会総会に五、六人の同級生が集まりました。その時にクラスごとには三年に一回、二年に一回開いてやっているが、学年全体の同窓会をまだやったことがないので一度やってみたいね、という話になりました。しかし誰かがお世話をしない限りできませんので、そのままになっていました。二年前の八月に、三つのクラスが別々に同じ日に同窓会をやったことを聞き、せっかくやるなら場所を一緒の会場にして一度集まったら楽しいだろうということになり、七クラスのお世話役の方に呼びかけて、日を決めて、案内状の発送と受付はすべてクラスごとにしてもらいました。

案内状の発送が会の三週間前という遅くなったにもかかわらず、県外からも戻ってくれた同級生もおり、五十五名の参加でした。先生方も急なご案内でしたが、七名も出席していただいてうれしかったです。三十五年ぶりに会いますと、誰だかわからない方や、体型が変わり恰幅が良くなっている方、頭の毛が薄くなっている方もいて、年を取ったとつくづく感じました。ただ、高校時代ほとんど話したことのない友達と話ができたり、卒業後、仕事や家事、育児に頑張って生きてこられた苦労話を聞きますと、みんな本当に偉いなあと頭の下がる思いがして、大変勉強になりました。幹事の一人が欠席者からのメッセージをクラスごとにパソコンで打って冊子にし、当日配ってくれましたので、それを読みまた懐かしさがこみ上げてきました。二次会も盛り上がって終わらなくなりましたが、「天城越え」をデユエットで歌うカップルを最後に、締めとしました。幹事の反省会で次は三年後にしたいという話になりましたが、今度は平成六年組のようにもう少し早くから準備をして案内を出さないといけないと思っています。                     

昭和四十八年卒業 佐藤章

昭和四八年度卒業生同窓会恩師への花束贈呈