室戸市教育委員会

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室戸の史跡・文化財

掲載日:2014年07月18日

室戸岬(1)

最御崎寺(東寺)

最御崎寺(東寺)

最御崎寺(東寺)

最御崎寺(東寺)

最御崎寺(東寺)

最御崎寺(東寺)

最御崎寺(東寺)

中岡慎太郎像

中岡慎太郎像

津呂王子宮

室戸灯台

御厨人窟

御厨人窟

御厨人窟

最御崎寺(東寺)
最御崎寺(東寺)

最御崎寺(東寺)
 大同2年、唐から帰った大師は、この地を訪れて嵯峨天皇の勅願により伽藍を建立し、虚空蔵菩薩像を刻んで本尊とし室戸山、最御崎寺(ほつみさきじ)と号し、第24番の霊場に定められましたその後寺運は大いに栄え、嵯峨天皇を始め歴代天皇のご信仰も厚く、足利時代には土佐の安国寺に定められ、以後各武将の寄進により七堂伽藍も整う大寺院になりました。

中岡慎太郎像
 幕末、倒幕派の土佐藩の志士、安芸郡北川郷大庄屋の家に生まれる。武市瑞山の尊壤党に加わり、1862年五十人組に参加して出郷、以後諸藩の志士と交わる。1866年の薩長連合の成立には、坂本龍馬とともに人力さらに薩土盟約をあっせんして倒幕運動を進めた。1867年11月15日京都河原町の近江屋で坂本龍馬とともに刺客におそわれ、ともに落命した。

津呂王子宮
 津呂の氏神である。津呂は港ができ捕鯨を中心とした漁業が盛んになる近世に入って人家が増えてきた。それまでは人家のまばらな寂しいところであった。王子宮の社寺は二代藩主忠義が最蔵坊に津呂の港を掘ることを命じ、津呂権現の宮(王子宮)と屋敷を与え、津呂沖を往来する船の安全を祈願するように命じたものである。

室戸灯台
 四国の南東端に位置し、明治32年4月1日に完成しました。その後、昭和9年の室戸台風のため、灯台のレンズが破損し、修理を行い鉄造りの灯台はそのままで、ほぼ設置当時の状況で現在に続いています。光源は最初石油を使用していましたが、大正6年12月に電化されました。またこの灯台は無線方位信号所が併設されています。

御厨人窟
 空海が室戸崎に来て苦行修行を積んだ地。上の写真の左が御厨人窟で、右が神明窟である。御厨人窟には毒蛇が住んでおり、往来の人畜に危害を加えるので空海が加持力をもってこれを退出させたという。二つの窟を通称「みくろ洞」と呼んでいる。



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