| 鯨浜 と 室津の泊 そして 津寺 と 一木権兵衛 | ||
さて皆様、奈良師の浜の右端のところに、少し高い礁が見えます。あの辺りから右の方を昔は「鯨浜」と言っておりました。 みなさまは、最近クジラを食べられたことがおありですか。南氷洋他で捕鯨が禁止になり、クジラの味も忘れかけているこの頃ですが、その昔室戸は和歌山の太地とならんで、捕鯨の中心地として七浦が栄えたということです。 |
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昭和46年 室戸市椎名 大敷網![]() |
網捕鯨 11尋のナガスクジラ 浮津 明治30年代![]() |
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鯨取りは勢子舟にのった猟師が、手銛を使って命がけで捕まえた突き捕鯨から、網捕鯨へ、そして銃殺捕鯨へと進んでいきましたが、室戸岬一帯で捕鯨をしていた頃は、捕らえた鯨を、津呂組は室戸岬近くの鯨浜へ、浮津組はあの浮津の浜へ運び、解体していたということです。 |
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| 網捕鯨 明治時代 と 再現された勢子舟 | 手銛 | 手形切り。網捕鯨で一番危険。 |
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