5,6月コラム

 

教室環境

 

新学期から早くも1カ月が経ち、新入生たちは、そろそろ学校に慣れてくるころである。

教室も入学式、始業式の日はとても改まった感じがし、日が経つにつれ教室それぞれにも個性が出てくる。

NPO法人日本を美しくする会の「清風掃々」20号に以下の文を見つけた。

「教室環境はそのクラスの担任の考え方、姿勢がそのまま表れています」これは、愛知便教会の高野修滋先生が書いた言葉である。この文章を見つけた時、やはり教室は整然と、きれいであるべきであると改めて感じたことである。

以前担任した生徒で、掃除がとても嫌いな子どもがいた。基本的には毎日教室掃除をするのであるが、行事やその他のことでできないこともある。その時には「やったー」と大声で叫んでいたぐらいである。私自身はとても悲しい気持ちでいたが、毎日給食後に時間を決めて教室掃除を行い、掃き掃除も徹底して行った。きっと「また掃除か」と毎日いやな気持ちだったと思うが、掃除の時間には最初、数回遅れただけできちんと教室に戻ってきて、クラスのみんなと一緒にきれいにしてくれた。

そして、年度終わりも近付いた3月、雑巾を洗うバケツも片付けた後、その生徒が雑巾で床を拭いていた。私はびっくりして声をかけた。「どうして拭きようが?」その生徒は、「床が濡れていたので・・・」きっと雑巾を洗った後、水が床に飛び散っていたのだろう。私は、みんなの前で「すごい!!誰かが汚したところを、自分から気付いて拭いてくれようがやね。」と言った。クラスの友達から自然に拍手が起こった。生徒が頭をポリポリかきながらずっと照れていたのが印象的だった。

子どもにとって掃除というのは、めんどうくさい気持ちがあったり、何か悪いことをした時に行う罰として行われたりすることもあり、いい感じがしないイメージもあるに違いない。大人でも同じように感じる人も多いかもしれない。しかし、掃除自体は嫌でも、例えばきれいなトイレと汚れたトイレのどちらかに入るとすれば、きっときれいなトイレだろう。

生徒の変化は心から嬉しかった。クラスの中に掃除が好きな生徒達がいて、いつもきれいにしてくれていたのでいい影響を与えてくれたに違いない。

環境というのは、何においても大きな影響力を持っている。大切な子どもたちを預かり、教育していく場である教室環境は何よりも大切だと考える。

今年度も、子どもたち一人一人ができる形で毎日の教室掃除に取り組みたい。

 

人権教育主任

池川和香

 

 

7,8月コラム

 

 

DJポリス

 

サッカー日本代表がワールドカップ出場を決めた日に、渋谷でサポーター達にマナーを守るように呼びかけて、警視総監賞を受賞した警察官が話題になっている。

私自身もTVで見たが、全く威圧的でなく、サーポーターの心を捉えた呼びかけであったと思う。

 このDJポリスが、サポーターの心をつかんだのは「イエローカード」や「フェアプレー」などサッカーに関連したキーワードを使ったのが大きいだろう。サッカーを愛する人の立場に立ち、いかにして聞き入れてくれるかを考えての言葉であったと実感する。

余談かもしれないが、この警察官は難関の広報上級検定に合格しているという。

「伝える」ことは簡単なようで意外と難しい。一生懸命話伝えたと思っていても、こちらの意図することや思いがきちんと伝わったかどうかはわからない。同じ言葉でも相手の取り方次第で違うことがたくさんある。人の考え方は同じではない。また、人の感情は、いつも安定しているとも限らないので、その時、その場面で同じ相手でも取り方が違ってくるからやっかいだ。伝えてくる相手によっても違ってくるだろう。

 「言葉」というのは大きな力を持っている。誰かの言葉一つでうれしくなったり、イヤな気持ちになったりする。だから、お互いが気持ちよく仕事したり、過ごしたりするために、みんな言葉には気を付けているはずだ。

ただ、家族間や気持ちが高ぶっている時は、つい思いやる気持ちが薄れがちである。言わなくてもいいことを言い後悔した経験のある人も多いのではないだろうか。

気を遣い過ぎるのはよくないが、言葉はやはり相手の立場に立って発すると伝わりやすい。逆を言えば、一方通行の言葉は伝わりにくいに違いない。誤解を生むことも考えられる。

 自省を込めて、DJポリスに改めて多くのことを学んだ。

 

 

 

人権教育部   

池川 和香

 

9,10月コラム

 

アメリカ見聞録

 

 この夏、妹の住むシカゴを初めて訪れた。アメリカに行くのは妹の結婚式以来なので、18年ぶりになる。

そこで日本との比較を交えながら振り返ってみたい。

まず、店の駐車場では、障がいのある方専用のパーキングスペースがあるのは日本と同じであるが、罰金を表す「fine」の額が書かれた立て看板がある。たくさんの店やモールに行ったが、どれも$250であった。ただし映画館は$300と高くなっていた。妹が帰国していた時に、日本では障がいのない人が平気で車を止めているのをよく見かけると話していた。私も同感である。

 フィットネスクラブでは広大な駐車場の入口に近い部分は全て障がいのある方のパーキングがありびっくりした。中に入ってその理由が理解できた。というのは、短時間で足に障がいがあると思われる3人の方を見かけたからだ。妹によるとタオルをたたむ仕事などをしているという。障がいがあってもたくさんの方が働いているのだと思ったことである。障がいのある方専用のパーキングに止めてある車の中のバックミラーには、証明書が掛けられてあった。ただ、この証明書を悪用する人がいるようで、テレビのドキュメント番組で実際には障がいがないのに親戚の証明書を借りて駐車し、リポーターに突撃される場面が報道されたりすることもあるようだ。

シカゴ滞在途中、妹の同伴なしに3日間ニューヨークに出かけてみた。ニューヨークへはシカゴのオヘア国際空港からラガーディア空港というアメリカ国内線専用の空港を利用した。乗客の中に日本人は他に誰もいなかった。飛行機を降りる時は、座席番号の早い順にみんながきちんと降りていく。日本ならわれ先にと頭上の荷物を取り出して通路に並ぶ光景が当たり前だが、誰一人そんなことはしなかった。見習いたいと思ったことである。

2日目は交通手段として地下鉄を調べて乗ってみた。路線はとてもたくさんあるが、色、数字、アルファベット等で分けられている。荷物がたくさんあったので空いている一つの席に座ろうとしたが、そこは日本でいう優先座席とわかったので立っていた。しかし、2人掛けのその座席にはすでに若い女性がひとり先に座っていた。

 ニューヨークには観光客もたくさん来るのでその人を狙ってチップをもらおうとする人がいるのを地下鉄の駅で見た。地下鉄に乗るにはメトロカードという切符を買わなければならない。1回だけの乗り降りは$2.75で7日間や30日間の乗り放題や、金額の決まったプリペイドと何種類かあるのだが、買うのに時間がかかっている外国人の家族連れのところに女性がさっと寄ってきて買い方を教えてあげ、無事に切符が出てくるとチップを要求している。2家族が変な顔をしながらもチップを払っていた。さて私が買おうと画面を見ていると一人の男性が急いでやって来た。表情が「あーあ」という感じだったので、「先に買ってください」と言うと自分の分を買った後、私の分を手早く買ってくれた。先ほどのチップを要求していた女性が来てなんだか残念そうに見ていた。

 日本には馴染みがないが、アメリカはサービスに対してお金を払うのが当然である。気を付けなければいけない。ホテルでコンシュルジュに何か聞いたりしてもチップがいる。

そういえば、知っているイギリス人がこう話していた。日本は安いものを売っている店でもサービス(対応)がいいと。

 タクシーにも4回ほど乗った。私が見たガイドブックにはチップは15〜20パーセントとあったが、クレジットで支払うと伝えるとどのタクシーも20、25、30の画面の中からチップの額を選ぶようになっていた。日本のように自動ドアではない。私が乗った1台は信号待ちの時に路上で売っているパンか何かを買って食べながら運転した。それはあなたの夕食かと尋ねたら、食べる時間がないからと言い訳をしていた。ちなみに日本語でよく「チップ」というが、発音的には「ティップ」が正しい。チップだとポテトチップスのチップと思われるようである。

 ニューヨークでびっくりしたことは、横断歩道にある歩行者用の表示が「進め」でなくても車が止まったらどの交差点でも人々が歩き出すことだ。家族連れや女性は一般にちゃんと待っているが、男性はほぼみんなが歩き始める。5thアベニューとマディソンアベニューという大きな会社がたくさんあるところだけかもしれないがとても驚いた。

 また、日本にもある有名な食料品店の本店にも行ってみた。レジの近くで商品を見ていると、並んでいる人と私のいる場所はかなり空いているのにもかかわらず2,3人に「並んでいるのですか?」と聞かれた。日本なら聞かずにさっと並ぶのではないだろうか。

 エンパイアステイトビルディングとトップオブザロックに上ったが、どちらもセキュリティーチェックを受けなければいけかった。展望台にたどり着くまでに時間がかかった。観光地を巡ったせいもあり、英語だけではなくたくさんの言語がニューヨークでは飛び交っていた。

 初めての土地でいろんな人に尋ねる場面が多かったが、みんなとても優しかった。特に地下鉄で出会った黒人の女性は私がどの路線に乗ったらいいのか迷っているのを察して声をかけてくれ、的確に教えてくれた。身なりや話し方がとても上品な女性であった。

マンハッタンの夜景を堪能したため夜遅くに地下鉄に乗り、街を歩く羽目になってしまったが、怖い目に合うことはなかった。夜遅いのにたくさんの家族連れが通りにはいっぱいいた。

シカゴに帰ってきてダウンタウンに出かけ、バスに乗ってみると可動式の座席があった。そこが優先座席になっており、妹によると車椅子の方が乗った場合はそこに止めるのだそうだ。バスは空席がなかったためか、若いカップルがその席に座っていた。ニューヨークの地下鉄同様日本でも見られる光景である。

水族館にも行った。おそらく屋内の水族館では世界一の規模を誇るシェッドアクアリウムでは、捨てられた犬のことや銃弾が頭に打ちこまれたアザラシの話を涙ながらに話している水族館の関係者を映像で流し、動物の保護にも力を入れていた。また、建物は水族館というよりもまるで美術館さながらの美しい建物であった。

アメリカでは子どもを一人にしてはいけないそうだ。ただ何歳までなのかは州で違っており、イリノイ州では州法で14歳以下の未成年の子どもを一人で家においていくのは虐待に当たるそうだ。妹には娘が一人おり、この秋で小学1年生になる。もちろん夫婦どちらかが出かけるときは、必ず出かけない方が面倒を見ることにしていた。日本なら一人で留守番をする14歳以下の子どもはたくさんいると思ったことである。

近所の図書館が素晴らしかった。入口にはカフェがあった。子どものコーナーには絵本に出てくるキャラクターの大きなコーナーがあり、子どもたちが楽しそうに座っていた。本は背表紙に、例えば「学校に上がる前の子ども用」のようにシールが貼られて選びやすくなっていた。広さもかなりある。そして、盲導犬を連れた人を見かけたが、盲導犬と遊んだり、触ったりしないでくださいという注意書きの立て看板があった。視覚障がいの方が働いているようだ。

 妹の近所だけでなく、見かけたどの家も芝がきれいに刈られ、ごちゃごちゃした感じはみじんも感じられない。洗濯物を外に干したり、芝生をきちんと刈ったりしてなければ、近所の人に通報され罰金を取られるそうである。景観を非常に大切にするお国柄だと改めて感じたことである。とにかく家の周りは花や木がきれいに植えられ、どの家もとても美しい。

 ゴミ捨てに関しては、日本と一緒で地域によって違い、妹の住んでいるところでは刈った芝や木々などはLeaf bagあるいはLawn bagと呼ばれる専用の紙袋に入れて出されていた。また、瓶や缶は青のリサイクル用の容器に入れて出すそうである。その他は特に指定のごみ袋はなく、各家の前に大きなゴミ入れ容器ごとそのまま出していた。隣の市ではゴミ袋一袋ずつに有料のシールを貼るか、指定のゴミ容器を借りて月々支払うかのどちらかであるそうだ。私が住んでいる地域は、ゴミの収集場所が地区で決められており、ねこやカラス除けのネットがかけられていている。ただ、別の地域では、ごみ収集車が来る前にすでにゴミ袋が破られていてゴミが散乱し、異臭が漂っている光景をしばしば見かける。日本でもゴミ袋を道端にそのまま置いておくのではなく、何か対策を取るか別の方法に変えることが必要ではないかと思ったことである。

 生ゴミについては、シンク内にgarbage disposerがついており、何でも一気に粉砕する。ただ、バナナの皮は粉砕しにくいようで、妹はゴミ箱に捨てていた。そういえば、今から22年前に私が妹を訪ねて行った時は、一般の賃貸住宅に住んでいたが、食器洗い機があるのが当たり前であった。将来は「生ごみ粉砕機」も日本に普及するかもしれないと思ったことである。

帰国間際、5月に日本で封切られていた、見たかった映画を探してもらったら、もう8月なので「ダラームービー」といって$1で見られる映画館が運よく見つかった。切符を買う時にポップコーンを勧められたが妹も私も頼まなかったら変な顔をされた。帰宅して、義弟がポップコーンを食べたかと妹に聞いたらしい。食べなかったというと、本当に驚いてなぜ食べないんだと言ったようだ。映画とポップコーンはアメリカではやはりセットらしい。ただ、シカゴには有名なポップコーンがあり、帰国時に空港で買い求めた。

 妹と二人で買い物に行くと韓国から来たのかと何回か尋ねられた。日本人には見えないようである。

買い物で思い出したが、日本だとお土産を買うと、その個数や大きさに応じて小袋をつけてくれるのが当たり前であるが、アメリカではそうではない。ニューヨークのお土産店で小袋をつけてくれるように頼んだ時はまだよかったが、重く破れそうだったので紙袋をもう1枚重ねたいというとため息をつかれた。シカゴでもアウトレットモールで7枚ほしいというと3枚じゃないのかと嫌味を言われた店もあった。妹に言わせると、最近はまだいいそうで、以前はどこの店でも嫌な顔をされ、断られることもしょっちゅうだったという。

外食にもよく連れて行ってもらった。アメリカではオーダーして食べきれなくなったものは持って帰るのが普通である。こちらからお願いする時もあるが、お店の人が声をかけてくれる時もある。妹夫婦のお蔭でたくさんの料理を味わった。タイ、メキシコ、中華、シカゴ名物の厚いピザ、日本のように炭でなくガスで一気に焼くバーベキュー、パニーニ、カリフォルニア巻き、ワッフル、パイ、ニューヨークチーズケーキ、日本でも話題のパンケーキ、等々。一番どうしようかと思ったのは、アメリカ南部の郷土料理であるなまずのフライ。パンに挟んでこわごわ味わってみると、ただの白身の魚の味であった。

買い物はみんなクレジットカードを使っていて現金で払っている人を見かけなかった。カード社会であるが、支払う機械がいろいろ違って面白かった。カードを通してサインをしなければいけないところもあれば、いらないところもあり、あるお店では、画面にタッチペンでなく指でサインするお店もあった。支払いもドルで払うか円で払うかを聞かれたりしたがその日のレートを確認してなくて損をしたこともあった。レシートは手渡しというよりも袋に入れてくれる。

日本でも来年から消費税が上がるが、タックスはかなり高いと感じた。食品でも物によって違うが、$18のものが支払う時には$20になったりするのでなかなか侮れない。

ある店で妹の代わりに私が支払いをしようとしたら私のカードは使えないから自分が払うと言う。その店指定のカードを持ってないとクレジットでの支払いはできないそうだ。また、その店は支払いどころか、会員でないと入店すらできないため、入口には会員であるかどうかをチェックする店員がいて、みんなカードを見せて入るのである。もちろん同伴は大丈夫である。その店の商品をクレジットで買いたかったらその店指定のカード会社と契約をしなければいけないのがちょっと気になったことである。

 長々と書いてしまったが、同じ国でも場所が違えば色々なことが違うように、国が違ったらもっとより多くのことが違っている。異文化に触れることは自分の視野をより広げることにつながっていく。そしてその広がったキャパシティは自分と違うこれから出会うたくさんの人の理解にもつながっていくように思う。

 

人権教育部   

池川 和香

 

3,4月コラム

 

 

別れ・・・そして新しい出会いの季節

 

「会うは別れの始め」のことわざがある。年度の終わりである3月はこの言葉がとても心に響く。人生の中でいろいろな出会いがあるが、出会った分だけ別れがあるのもまた事実である。学校においては卒業生が学び舎を巣立ち、職場においては異動や退職等が毎年繰り返される。

仏教においても「会者定離」の言葉があるように、会った者はいつか別れる定めにある。

別れはとても悲しいことであり、出会った人が自分の人生にとって良ければ良かったほど、また振り返って自分のためになくてはならない出会いであればあるほど辛いものになる。翻って、いつかは別れてしまう時がくるのだから、出会っている時間を大切にしようという戒めとも言えるのではないだろうか。

 自分自身は日々、身近な出会いを大切にしてきただろうか。毎日の忙しさや感情のコントロールに調整が効かず大切にできなかった時間もたくさんあったように思う。

 別れの3月があれば新しい出会いの4月がある。新入生や職場の新しいメンバーと新たな年度がスタートを切る。

人生の幕が下りる時までたくさんの人との出会いと別れを繰り返していく。出会いによって考え方はもちろん生き方までも異なってくるであろうし、影響力は図りしれない。いい出会いが春の訪れとともにみんなに訪れますように。

 

 

 

 

 人権教育部

   池川 和香

 

 

 

 戻る