歴探、天空で舞う!

10月12日、嶺北高校歴史探究会で、民謡土佐柴刈り唄を踊りました。

刈田と晩稲とが、美しいモザイクを描く、土佐町は相川の棚田。

土佐柴刈り唄は、ここ相川・高須地区に、その原型が古くから伝わる民謡で、いわゆる仕事唄の一つであったとされています。

ここで言う“柴刈り”とは、化学肥料の無い時代、田植え前に柴草を刈り取り、肥やしとした作業のこと。

言うまでもなく、機械のない時代において、これは大変な作業でありました。

労働と生活とが全く同じ意味を持った時代にあって、歌は、この土地に生きるひとびとの生活を励まし、彩りあるものとしていたのです。

柳田國男の『鼻唄考』にこうあります。

「歌をうたふ気になれないような仕事は、昔だってそれは有ったらう。しかし、羨ましいことには最も多くの仕事は其の反対に、歌って働かずに居られなかった。さうして其様な仕事のみが、國の歴史にも人の傳記にも記憶せられ又感歎せられて居る。だから我々の過去は美しく見えるのである。」

「嫁も取ろう〜」

この柴刈唄のフレーズも含め、こうした踊りや唄の価値は、それがあまりに平俗であるが故に、文化としてはある種正当には評価されてこなかった嫌ひがあります。

だが、神祭にせよ、酒宴にせよ、はた盆踊りのようなものであろうと、「せずには居られない」のだからそれはすなわち彼ら、彼女らにとって仕事であったに違いないのです。

「獨り戀ばかりが、其外で有った筈は無いのである。是をせねば人は寂しく、家は悉く草原の原となったらう。」

柳田國男『鼻歌考』

柳田の指摘に従うならば、ひとびとはまさしく一つの生活を生きただけでしょう。

そして、そこに生まれたものは紛れもなくひとつの文化であった。そういうわけでありましょう。

最後に、柳田が「歌」というものの意味について述べたところを、少し長いですが引いておきます。

「人の若い時は夢の間に過ぎ去って、再びもとの舊巣を訪れるという事は無い。それだから力の及ぶ限りの活躍をして、空しく青春の日を費やし盡くさぬやうにといふ、余韻を含んで居たればこそ聴く者の胸を打ったのである。人の若い時の計畫と認めて居た時代などは、遠い遠い大昔の事になってしまった。しかも一つの民族の團結が続く限り、この老いて行く者の心からの嘆きが、新たに目覚めた人々の激動となることは、学芸の上でも変わりは無いのである。過ぎて返らぬ若い時を振囘って、うまくしおほせた、完全であったと、自得し得る者などは一人だって無い。同じ緑の野の草を踏み、笑ひさざめいて後から来る人々に、つまらぬ路草の爲に疲れてしまはぬやうに、早く正しく學び且つ覺えて行くことを勸めるにも、やはり斯ういった自ら憐む歌と、高く唱えることが最も痛切なる手段だったのである。」

柳田國男『民謡覺書』より

 

民謡とは、それを歌い継ぐことで如何に生くべきかを学び、考えるための手段だったのでありましょう。我々にとって生活とは、労働とは、生きるとはどういうことであろうか。そうした素朴な人間性が捨象され、バラバラに分断されたかのような現代にあって、我々が民謡を愉しむという事の意義については言うまでもなく大きなものがあるのです。

無筆謙遜なる老教師の引退によって途絶えた傳統の糸を再び見つめ、それをつむぎ直すこと。学問をするとは、なにも書物を繰ることだけではありますまい。歌い、舞うこと。それが、それのみが学ぶことであった時代に思いを馳せてみる。

今回の歴史探究はまさに、“歴史を生きてみる”

そんな時間になったのではないでしょうか。

(文 嶺北高校学校支援地域本部サポーター 岡田光輝;踊指導 澤田美恵子;撮影 大辻雄介)