青い目の人形 エミリー
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昭和2年(1927年)3月23日。高知市の第三尋常小学校(現追手前小学校)で、はるばる海の向こうから送られてきた「青い目の人形」の合同歓迎式が行われた。 当時、世界は金融恐慌など経済不況に見舞われていた。アメリカには大量の日本人が移民していた。このような社会状況の中で安い賃金で働く日本人への反感、アメリカ社会にとけ込もうとしない日本人の排斥など反日感情が高まり、日米間の摩擦は急速に拡大していった。 これを打開しようと運動したのが、シドニー・ルイス・ギュリック博士だった。ギュリック博士は、「世界の平和は子供から」の理念を掲げ全米に呼びかける一方、日本の渋沢栄一翁に協力を要請した。渋沢は文部省などと協議し、日本国際児童親善会を組織して人形の受け入れ態勢を整えた。ギュリックは日本を排斥するんじゃないということを態度で示すために人形を贈ったといいます。人形を贈ることでアメリカ人に日本を理解させ、偏見のない子どもの目で友情の結びつきを進めようとしたのです。 |
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| 高知市の第三尋常小学校で盛大な歓迎を受けた187体の「青い目の人形」は合同展示の後、東は室戸の佐喜浜尋常高等小学校、西は宿毛の山奈尋常高等小学校をはじめ、子どもたちが待つ県内各地の小学校などに贈られた。 しかし、太平洋戦争の勃発とともに、「青い目の人形」も受難の時代を迎える。昭和18年(1943年)の新聞には「たたき壊せ青い目の人形」の記事もみられる。 日本各地で「青い目の人形」は焼かれ、竹槍で突かれ、相次いで処分された。 このようななかで、「人形に罪はない」とひそかに隠した人たちもいた。こうして戦争を生きのびた「青い目の人形」の1体が、現在も室戸市立佐喜浜小学校に残っている。現存する「青い目の人形」は、全国で179体、高知県では本校の1体のみである。名前を「エミリー・カトゥリーヌ」といい、身長31. 5cm、若草色のドレスを着て、ビーズの首飾りをつけたかわいい人形である。
「青い目の人形 エミリー」は、昭和50年(1975年)10月に佐喜浜小学校の教具室で発見される。当時教頭だった田中作実先生が校舎の新築にともない古い教具室を先生たちと整理中、偶然発見した。青い目の人形は、古い木箱の中からパスポートと英文の手紙とともに見つけられた。田中先生は早速、地元の史家・松野仁さんに照会し、この人形が昭和2年に贈られた「エミリー・カトゥリーヌ」と分かった。「エミリー」は、戦争中は校長室の奉安殿下の戸棚に他の物品とともに保管されていたが、昭和27年の新校舎落成にともなって、旧校舎の物品が教具室へ移され時に一緒に移され、そのまま忘れられていたのである。 現在、「青い目の人形 エミリー」は佐喜浜小学校の校長室に飾られ、私たちに平和の尊さを語りかけている。本校では、平和学習の生きた教材として、あるいは卒業式の式場に「エミリー」を飾ったりして、平和の大切さを学習している。 |
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