室戸市立佐喜浜小学校

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俄(にわか)と佐喜浜

室戸市佐喜浜町の佐喜浜俄(にわか)は、国の保存を有する無形文化財・県の無形文化財に指定されており、毎年10月第2日曜日八幡宮の大祭で演じられています。

俄とは・俄の起こり

俄狂言の略で、「仁輪加」「二〇加」とも言われたり書かれたりしています。素人が演じた即興滑稽(こっけい)寸劇で、江戸時代中期には、江戸の吉原俄、福岡の博多俄が演じられ、明治に入ると「改良俄」「新聞俄」「大阪俄」といわれたものから喜劇劇団が生まれ、現在の新喜劇にもつながるとも言われています。

佐喜浜俄

 佐喜浜俄の始まりは、佐喜浜古式行事保存会によると「江戸中期の俄台本が存在することから、240年前にはすでに演じられていた。その流れや佐喜浜八幡宮に奉納されだした経緯は分かっていない。」ということです。佐喜浜俄は、66年ごろまでは町を四つの「宿」に分け、それぞれが演じてきたという。しかし、過疎化と共に若者が減り、現在は一つに統合され「浦宿」として継承されています。佐喜浜は、上方(大阪)に近い町で木材や炭の産出地としての交流があり、上方の文化が入り込んだという説が有力とされています。また、町の豪商「井筒屋」の存在、功績も影響(町の祭り等で歌舞伎の催しを開催)があったのではないかとも言われています。

佐喜浜俄のストーリー

 古式行事、俄台本作家田村さんによると「俄には同じ台本はありません。その時々で人々が悩んでいることなどをストーリーに仕上げ、年金問題、選挙など庶民が政治、行政を風刺批判する事に醍醐味がある。」「1日前でも台本は変わる。」「台本は、祭りの前夜に役者に渡され、どんな内容の物であるかは戯作者以外は誰もしらず、1~2回の練習で演じられ俄の特徴は即興である。」と言っておられます。台本は、その時の時事問題や、話題になったできごとなどを題材に書かれ、庶民の立場から、ユーモアたっぷりに風刺する、即興の寸劇狂言そのものです。普通3~4人で演じられるが、役者は覚えきれないので、台本を小声で読んで役者に聞かせる役(おぼん持ち)も後ろに控えています。

 「俄」は口上が告げられ拍子木打ち、「東西東西!・・・・○○○○は作り込みのだーんっ!!」と劇のタイトルを叫びながら、幕の中から人が躍り出て「えっへ~ん、私は○○だが。」と市長や町の有力者、話題の人の実名で出て町内の出来事、政治社会の時事問題をとりあげ、毎年「新版」が作られる。 演技は「しうち」と云われ最後に争論となり、証拠となるものをかゝげ語呂合わせの「おち(押しと落とし)」によって終ります。また、役者の衣装や化粧も見物人の爆笑を誘います。役者さんは毎年派手なシャツやズボンをはいたり女装をして登場、それだけで笑いが起こる状態です。

子ども俄(佐喜浜小学校児童の参加)

 近年、後継者の育成をと古式行事、俄台本作家田村さんが中心となり、佐喜浜小中の児童生徒が俄を演じるようになりました。我が佐喜浜小学校では、平成19年より、町内の小宮の祭りや「市民祭」でも演じるようになりました。ここでも、押しと落としのオチは最高にさえています。演目の一部を紹介すますと「親の背を見て子は育つ」では、子どもの将来の姿をどのように支えたらよいかを市長と町の有識者のユーモアあるやりとりから始まり(ここでも実名でやり取りがあります。)行政を批判した有識者に市長は「なんぞ確かな証拠かあるか」と尋ね、有識者は腰掛けを取り出し、腰掛けの足をたとえ「一つ一つは小さくもろい(いすの脚)が大人がしっかりと後ろを支え(背もたれをさす)、行政も”深く腰を据え”て取り組んでみしゃんせ!(取り組んでみろ)。”姿勢”(市政)も良くなるであろうがのう~!!とオチでしめます。また、教育長と校長のやり取りでは、福祉行政も大切だがもっと子どもにお金を使えといった演目で、カレンダーを取り出し、「”土”を耕し、”木”を切って、毎”日”を汗”水”流し働く姿を”金”の卵に見せてみしゃんせ。必ず良い習慣”週間”となり正しい結果”月火”になるであろうがの~。」と落としています。