地域の概要

 本校の校区の概略は、大きく分けて次の3つの部分に分けられる。
 一つは国道32号線沿いの大豊町から根曳峠までの約7kmの吉野川流域、そして繁藤中部落より穴内川をさかのぼった上穴内までの8kmの穴内川流域、それにあと一つは約4kmの河ノ川の流域で、この3つの地域が本校の全校区である。
 これを現在の行政区分の境界でみると、北は大豊町と本山町(ともに長岡郡)に、西は南国市、東は元香北町(現香美市香北町)と接している。このように3つの市・町に取り囲まれたこの地区は、過去に何度かの行政区分上での「出入り」を経験してきている。
 古くは、「天坪村のうち繁藤・北滝本は甫喜山郷に、穴内・樫谷は本山郷に、河ノ川は豊永郷に所属したことがあり、離合集散の激しかったところ」であると「土佐山田町史」でも記述されている。
 昭和31年には大豊町の天坪南部5部落が、昭和35年には香北町西又部落が土佐山田町へ編入された。また、平成18年3月1日より、土佐山田町、香北町、物部村が合併し、香美市となる。
 そのほか、行政区分の変遷以外の大きな出来事として、昭和32年からの穴内川電源開発による集落の水没があり、上穴内部落が消滅した。(住家140戸、公用建物10戸、農地40ha、山林200haが水没)そして、高度成長下の住民の都市集中による過疎化の進行も見逃せない。
 なにより昭和47年の集中豪雨による山崩れ大災害(いわゆる「繁籐災害」)は、いつまでも忘れることのできない大きな傷口として、地域の人々の心の中に残っている。
 このようにこの地区は、いろいろな面で非常に大きな変動の中にもまれてきた地域であることがわかる。これらの変動が、地域住民の心の中に何らかの形で残っていることは否定できないだろうが、それが原因となることで表面に表れた事例はない。
 現在の繁籐地区の世帯数は、193戸、人口は360人(平成23年2月現在)で、過疎の山里である。さらに農林業の不振は、それへの専業者をゼロにして、校区外へ出る就労者を多くしている。いわゆる共働きの家庭が多くなってきていることも、他の過疎地域と共通している。
 若藤保育所は園児減少のため、現在は閉所という処置がとられている。また、小学校への入学者数が急激に減少し、児童の在籍のない学年や1名のみの学年も生まれている。