秋の部 布施ヶ坂〜愛媛県大洲市長浜町(122.5km)に挑戦!!
<秋の部 T>
10月29日 津野町(旧東津野村)布施ヶ坂峠〜梼原町茶や谷(39km)

朝から雨。雨の道中もよい経験になりますが、どうしても降ってほしくない理由がありました。
今回から、幕末映画作りをしながら歩く計画を立てています。
そのために、資金作りやご寄付によって集まったお金を使って羽織、はかまを用意しました。
そしてそれには、坂本家の家紋「組み合わせ角の桔梗」も入れました。
保護者の方や地域の工場の方のご協力で、下に着る襦袢も作っていただき、
はだけたり、踏みつけたりしないよう仕立て直しもされています。
できることならこれを全日程着て歩きたいと思ったのです。
集合場所の布施が坂に到着したときには、雨が上がりました。
どうやら最初は羽織、はかま姿でスタートできそうです。
最初の映画撮影は、朝霧の中を坂本龍馬と澤村惣乃丞が早足で歩くシーンから。
| 惣乃丞:坂本さん、布施ヶ坂に着いたぜよ 龍馬 :おうの、まっこときつい道じゃった。それに着物もぬれてひやいねや (峠に二人並び、越えてきた佐川方面の山々を見渡しながら) 惣乃丞:坂本さん、こっち来て 来て!
わしらぁ、あのむこ〜うに見える朽木峠を越えてきたがぜよ 龍馬 :たまあるか。なんと歩いたもんやねや 惣乃丞、おんしゃあ後悔はないかえ 惣乃丞:イエス オフコース!もちろんじゃ ※惣乃丞は英語が堪能。後に薩摩藩士にも教えた 龍馬 :イエス オフコース! (二人で握手。もう一度肩を組み、 遠くの山々に向かって一緒に叫ぶ) 二人 :イエス オフコース!!
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その朝、布施ヶ坂から眺める佐川町・須崎市方面の山々から雨上がりの霧が空に向かって伸び、
私たちが創っていく幕末映画「自由は土佐の山間より」にぴったりの
すばらしく、そして幻想的な風景を作り出していました。
子どもたちの口からも「最初のシーンに絶好の風景や」の声が聞かれました。
歩きながら児童が一句
雨上がり 源流の里 志士がゆく
東津野村(現・津野町)の役場でトイレをお借りしました。
全員そろいの羽織、はかま姿なので注目をあび、職員の方が何人か近づいてきました。
子どもたちに旅の趣旨や行程などを尋ねています。
子どもたちは、吉村虎太郎に関する資料が展示されたショーケースにへばりつきます。
ケースの中には、虎太郎が伍長を務めた天誅組の行軍の絵巻物があります。
食い入るように見ながら、「虎太郎おった!」「あれ?(前田)繁馬もおるはずやのにおらん」と
会話する子どもたちに、職員の方が「おう、ぼくらあ詳しいね。刀も見てみるかね」と奥のほうへ。
しばらくして戻ってきた職員の方の手には、大事に包まれた日本刀が。
椅子に座って子どもたちを集めます。慎重に包みを解き、鞘から刀を抜きます。
「備州長船清光。二尺三寸。持ってみるかね?」

一人ひとりの手に慎重に、慎重に渡されます。「重い」「長い」と、口々に短い感想。
刀を持っている児童に、「こんなものを振り回しよったことが信じられるか?それで人が斬れるか?」と
たずねましたが、刀の妖力にとりつかれたのか、まともな返事が返ってきませんでした。
その後、どうしても見ていきたい・・と、吉村虎太郎像を見に行きました。
「あの目つきは、やっぱり志士やった」とは、後の児童の感想。
伊予(現在の愛媛県)の方向を見る虎太郎をそれぞれが見上げています。

虎太郎 今にも動く 気配あり
虎太郎 日本の夜明けの 夢を見る

梼原町に入り、途中で那須俊平・信吾の墓をお参りしました。
那須信吾役の児童は「ここを訪れた瞬間から、強い志を持ち続け、
戦い抜いた信吾の様子が頭に広がって、その力が自分にも伝わって
勇気がわいてきた」といっていました。
豊かな時代に生きる子どもたちも、
手を合わせながらそんなことを感じていたのですね。
掛橋和泉邸での映画撮影では、梼原町教育委員会の皆さんが見守ってくださる中、
脱藩してきた龍馬・惣乃丞が那須俊平邸に見立てた和泉の家を訪れるシーンを撮影。
掛橋和泉邸を出て役場に下りると、職員の皆さんが仕事の手を止めて出迎えてくれました。
町長さんも、お忙しい中、わざわざ時間をつくってくださり、激励の言葉をいただきました。
大勢に見送られて役場を出発。いよいよ四万川を目指します。
大幅に時間が遅れています。疲れてはいましたが、歩を速め、いっきに大越を越えて広野に。
すでに30km歩いています。翌日以降に疲れを残さないために、この日は状況に応じて
ゴールを3段階に分けて設定していました。
広野はその1つ目のゴール地点です。ここでやめても、翌日ここから歩けばよいわけです。
しかし、子どもたちは「最後まで歩ききります」と張り切っています。
宮野々付近で5時のチャイムが鳴り、どんどん暗くなってきました。
行きかう車がクラクションで声援してくれ、中には停車して励ましてくれる方もいました。
六丁についたのは6時近くになっていました。
学校では遅くなったにもかかわらず、教職員が待っていてくれました。
2つ目のゴール地点は学校です。
子どもたち同士で意思確認をします。かなり疲れていることは空気でわかります。
私自身も腰痛が悪化してきています。内心「ここでやめよう」と言い出すことを期待していました。
しかし、子どもたちの結論は「最終ゴール地点の茶や谷まで行く」でした。
校長先生も、安全上、健康上の配慮から、帰ってきたらここでやめさせようと思っていたようですが、
子どもたちの気持ちと、待ってくださっている地域の方のことを考えて、ゴーサインを出してくれました。
学校から茶や谷に向かう外灯もない沿道のあちらこちらで、地域の方が待っていてくださいました。
歩く子どもたちの姿を見て、涙を流される方もいました。疲れた身体に元気がみなぎりました。
今日の宿泊先は 脱藩の宿「かまや」さん。
布施ヶ坂から約39km。子どもたちはついにこの日の最終目標まで歩きぬきました。
汗と雨で湿った羽織やはかまを脱ぎ、お風呂に入らせていただきました。
子どもたちは「お風呂ってありがたいなぁ」と感じたそうです。
夜は秋の部最初のミーティング。
「ありがとう」の気持ちがまず口々に出てきます。そして、歩ききった自分への評価も。
もちろん反省点も出ます。
特に「自分たちの旅」という意識がなく、先生に言われてからじゃないとできないということが
一番の話題となりました。
誰かに任せた旅ではなく、自分自身が旅を創っていくリーダーになりたいと、数名の児童が手を上げました。
秋の部第一日目は、翌日が楽しみな就寝となりました。
10月30日 茶や谷〜愛媛県河辺村(現・愛媛県大洲市)・御幸の橋(17km)

出発前、外には大勢の見送りの方が。
記念撮影のあと、児童代表が心のこもったあいさつをし、小走りでスタート。
保護者の方もいらっしゃいましたが、帰ってきたと思えば、また遠く旅立ってしまうわが子を
どのようなお気持ちで見送ったことでしょう。
大勢の方々の思いを胸に急な山道を登ります。
草も刈られ、道も整備されたあとがありました。
とても台風の後だとは思えません。
多くの方の尽力によってこうして歩けることを子どもたちとも話しながら進みます。
松ヶ峠から上もきれいに道が整備しなおされていました。
谷には木橋がかかり、湧き水が飲めるよう竹の樋もかけられていました。
落ち葉のクッションを踏みながら一気に下ると小さな田んぼが見えてきます。
そこに地域の方がご夫婦で待ってくださっていました。
ここから、高階野(こうかいの)まで一緒に歩いてくださるとのこと。
下りの山道を、台風で落ちた枝を払いながら進んでくださり、
古い住居跡を見つけた子どもには、開拓団が入植した当時の話を聞かせてくれました。
高階野に到着し、同行してくださった方にお礼を言おうとすると、
気が変わったようで、韮が峠まで一緒に歩いてくださることになりました。
そして、韮が峠です。脱藩の瞬間がやってきました。
一応手をつないで横一線でゴールするとは聞いていましたが、どんなことを言うのだろうと期待して待っていました。
が、予想に反しす〜っと通り過ぎるだけです。
「おいおい、脱藩したがぞ。何とかいえよ」といってもう一度やり直させたものの、
子どもたちにとっては、ここ韮が峠がゴールではなかったのです。
韮が峠 夢と家族の 別れ道
ここから愛媛県の惣川に向けてひたすら下っていきます。
一つ目の集落を抜け、男水自然公園の下にある「からくり広場」で、水量を増し、豪快に落ちる滝を見ながら昼食をとりました。
休憩後、出発するころには、私の腰痛が悪化し、まともに歩けなくなっていました。
列の中ほどに入りましたが、子どもに遅れをとります。
老夫婦が経営している河辺村(現・愛媛県大洲市)「脱藩の宿」を過ぎると、ここからは山道です。
車を乗り入れることができないため、救護車の先生とはしばらくお別れです。
児童のひとりが、山道用にと竹を拾ってきてくれました。
ふにゃふにゃで使い物にはなりませんでしたが、児童の気遣いに元気が出ました。
それは、旅を終えたいまでも捨てることができずに持っています。
ここから今日の宿泊先までは約4km。
前日の反省会で宣言したことの1パーセントも力を発揮していない子どもがいます。
ただただ黙って歩くだけです。
このままでは、前日と同じ反省をすることになります。
私は、その子どもたちを呼び、「先頭に立って、自分たちで旅をリードしなさい」ときつく伝えました。
子どもたちはむっとした表情で歩き出し、さっさと山道に入っていってしまいました。
「よし、やってみい」という思いと、教師としては「まずい」という思いも。
一本道で、看板も整備されてはいますが、迷う可能性がないとはいえません。
それに、イノシシが出る可能性もあります。それに、私は腰痛で自由に動くことができません。
すぐにあとを追い始めましたが、姿が見えません。
5分ほど歩き、榎ヶ峠に着きましたが、子どもたちの姿が見えません。
みんなで大声で呼びましたが、反応がありません。
急いで下っていくと、声が聞こえたようで立ち止まっている子どもたちを見つけました。
ほっとしたものの、かける言葉が見つかりません。
休憩のため、列が止まってもその子どもたちは、さっさと先に行き始めます。
友だちに呼び止められ立ち止まった子どもたちはすでに涙顔。
「先生すみません。みんな、ごめんよ」と声を絞り出します。
「二人だけで怖くなかったか?」と声をかけると、
「道がまちがっているのではないかと心配になって・・・」と答える子どもの手には
道中一度も出してチェックしたことのなかったガイドブックの地図がしっかりと握られていました。
友だちからの「泣くばっかりせんと、楽しんでいこうや」の声がけに、最後は
これまで以上に時間を大切にしながら全員で谷底を目指しました。
| <児童のふりかえり 1> 今日一日はわがままで、自分や人に甘い一日でした。 友だちが声をかけてくれたけど、楽しくなさそうだったので先生が「先に行け」といいま した。私は先に先に進んで、みんなのことを考えていませんでした。そして、映画監督 をしているときに、練習を甘く済ませて、「これで本当にできるのか」と 聞かれても何も いえませんでした。そして、監督も辞めてしまいました。 この状況は昨日より悪いです。明日は今までの自分を捨てて、変わった1日にしたい です。だから、今からやっていきたいです。 |
| <児童のふりかえり 2> 今日は17キロを歩きました。歩くときは、時間のことも何キロかというのもわからずに歩 いていました。歩く順番も後ろで、静かに歩いていました。そのことで、先生とみんなに 迷惑をかけてしまいました(ワガママが出た)。そのあと、私は、「いかん、こんなんやっ たら、楽しくなくなって、歩くだけになる」と思いました。だから、私は、近くの人しかでき なかったけど、声がけをするようにしました。声がけすると、友だちも応えてくれてうれし かったので、続けたいです。そして、楽しい旅にしたいと思いました。 |
山越えを終え、この日の宿「河辺村(現・大洲市)地域活性化センター」に向かいます。
1階が資料室、2階は体育館に大広間、台所の立派な施設です。
下見のときに、宿泊するならここしかないと思って、河辺村教育委員会に電話で問い合わせをしました。
その施設を宿泊のために貸し出した前例がないとのことでしたが、今回のような教育活動に利用するなら・・ということで
無料で利用させていただけることになったのです。
宿に到着したとき、腰痛が悪化していた私は、靴を脱ぐことも、立つことも座ることもできなくなっていました。
靴と靴下を児童に脱がしてもらい、這うようにして移動し、横になりました。
担任がダウンすると、こどもたちが「役割分担していろいろ準備せんと」「私、食事用意する」
「俺らぁは、台を用意しようぜ」「掃除機かける」と、俄然活気付いてきました。
時には、もめごとも聞こえてきましたが、子どものやりとりを楽しく聞いていました。
食事のあとのミーティングでは、「これまでで1番人のことを考えながら歩けた」「自分の役割を意識できた」といった
自己評価に対するプラス評価をお互いにし合っていました。
「山道で心配をかけてしまったけど、友だちや先生の大切さがわかった。もっと一緒に歩く時間を大切にしたい」という
涙ながらの振り返りもあり、互いの大切さ、旅への更なる意欲を確認しあえた最高のミーティングとなりました。
10月31日 河辺村・御幸の橋〜五十崎町・宿間(現・愛媛県内子町)(21.5km)

朝5時半。腰の痛みと張りは以前残るものの、少しだけましです。
子どもたちを起こします。家ではどうかわかりませんが、脱藩中は、実に目覚めがよく、すぐに起き上がって
寝具を片付け、役割分担をして、朝食の準備、部屋の掃除を済ませます。
自分たちで動くと気持ちもいいようで、目つき、顔つきが明らかに違います。
施設の最後の点検をし、出発です。まず、映画の撮影から。
安永2年(1777年)に掛けられたという屋根つきの橋「御幸の橋」で、
龍馬、惣之丞、案内役の那須俊平の3人がきれいな川を眺め疲れを癒すシーンを撮影。
そのあと、脱藩道中の最難関の5つの峠越えに挑戦です。この日の行程の約80%、17kmが山道です。
うっそうとした植林の中に入り、封事ヶ峠に向け急な上り坂が続きます。
そのとき、「俳句できました」の声
脱藩し ふるさと遠く はなれゆく
仲間から「お〜」といった反応。
「昨日脱藩して、どんどん四万川が遠くなってきて、
少しさびしくなってきた気持ちを
俳句にしました」という解説つきでした。
しばらく行くと
もみじ葉が 過去と未来の 夢つなぐ
という一句が。
「昔ここを越えていった志士には日本を変える夢。私らあには自分とか学校を変える夢があるろう?
どっちの志士も、このもみじを見たんじゃないかと思うし、
そのもみじが龍馬たちと自分らあをむすびつけちゅうというか・・・」という解説。
これにはみんなも「お〜、確かに」「えいねえ」の反応。
峠を下りきると、そろそろ「三杯谷の滝」です。
ここでのロケは、数日来の雨で水量を大幅に増し、迫力満点で、俳優の声もかき消されるほどでした。
予定より少し遅れ、水ヶ峠に到着。ここからはあまりアップダウンはなく、石城峠、大森山と快調に進み
昼食場所の泉ヶ峠に着きました。ここは、龍馬宿泊の地とされますが、今はその記念碑と山小屋があるだけです。
朝食を食べ終わったら、伴走している救護車で着替えです。
このとき、多くの子どもたちが乾いた服のありがたさを実感したそうです。
「秋の部 T」のゴール、宿間まであと8.5km。
再び雑木林を石上峠に向かいます。後ろでぶつぶつ言う声が聞こえるので振り返ると、児童のひとりが
なにやら指を折りながら考えている表情。
「いいのができゆうかな?」と声をかけると「できた」とのこと。みんなで歩をとめて味わいます。
思い出を かみしめ歩く 峠道
「おっ、ついにできた!」「すごい、えいやんか」と、友だちからの大絶賛に、俳句を作った子どもも大満足。
この3日間、泣き、笑い、いろいろなことがあったからきっと、たくさんの思い出を振り返りながら歩いていたのでしょう。
残りわずかになりました。この小山を下れば宿間です。
出迎えの親、兄弟の姿が見えました。またまた横断幕を用意しての盛大な出迎え。
「秋の部T」の旅は、ふるさと四万川を通り、地域の人からの声援を受け、ふるさとを後にするという旅でした。
梼原、そして、四万川の皆さんの応援に、自然に涙が出てきたという子がいました。
「脱藩し ふるさと遠く はなれゆく」と詠んだ子もいます。
ふるさとのすばらしさを心から味わった旅であったといえるでしょう。
八志士よ 自分の夜明け 見つけたか (保護者作)
| <児童のふりかえり> 昨日までは俳句ができなかったけど、今日、友だちに「俳句ができたけ、ちょっと聞いて」 と言ったら、友だちが明るく「それでいいんじゃない」といってくれたのでうれしかった です。自分なりの俳句ができてうれしかったです。また、思い切って「みんな元気?」と いったら、みんなも「元気!」といってくれたのでうれしかったし、もっと元気が出てきました。 <保護者から> 3日間ともに雨で大変だったのに、歩ききったことでたくましさが備わると思います。 「振り返りカード」を読むと、声出しや俳句がうまくできていないが、3日目にできたことは 自信につながったことでしょう。自分がつらいときは、みんなもつらい。声を出すことでつら さがなくなります。 ひとり(個人)ではできなかったことが、友だち(団体)の協力でできた。助け合い・協力・
|

その6に続く