〜第4章〜 男の戰い

 1ヶ月のご無沙汰でございます。10月3日は文化祭、今週末は郡体と行事続きで更新できませんでした('A`)

 沖縄県立那覇商業に対する本校は、後攻となりました。スタメンは、

1 遊 コータ (経) チビッコギャング。唯一歌舞伎町の雰囲気を愛したムードメーカー。
2 右 ハヤト (経) 寡黙なバンドマン。なかなかの男前だが少し気が小さい。
3 捕 コーセー (経) 岡林と並ぶ野球の腕。「盗塁される気がしない」。私の中では大会NO1捕手。
4 中 岡林 (経) エースで4番でキャプテン。野球にだけはとにかくひたむき。「絶対勝つ」と断言。
5 一 ユウト (経) 彼女が高知から応援に。ヤサ男。1年生のときから主力。来春卒業予定。
6 三 アイト (非経) 愛称「若旦那」。15歳とは思えぬ風格&非経験者とは思えぬセンスの持ち主。
7 投 いずみ (経) 女子選手で今大会ただ一人試合出場し、しかも先発。男勝りで明朗快活。
8 左 マサ (非経) 気は優しくて力持ち。野球は下手でもみんなをまとめる気遣いと人望。
9 二 カズ (非経) 運動神経抜群。基本無視のスイングからなぜか快打が飛び出す不思議。イケメン。
補 チカモリ(非経) 身長185cmの痩せた大男。超のんびり屋。攻守ともにスランプ気味だが性格がよい。
補 ノムさん (非経)謙虚・献身の塊り。細い体で黙々と裏方仕事をこなす姿勢に全部員が敬意を払う。
補 シンちゃん (非経)気が弱く大人しいが野球は大好き。今回はランナーコーチに徹してもらった。
補 ショウちゃん (非経)1年生。元陸上部で足が速いが野球は初めて。ランナーコーチ。

というオーダー。四国大会同様、9人中3人は非経験者。上位打線でいかに点を取り、非経験者がいかにエラーを少なくするか、そして先発いずみからエース岡林へいつスイッチするか、この2つが、当たり前ながら勝敗のポイントでした。

 試合開始前、私は「コールド負けだけは避けたい」一心。
 野村克也さんがよく「最悪のことを考えながら采配する」といいますが、私の場合「最悪=自信喪失のコールド大敗」、「最善=自信が持てる惜敗」でございまして、つまり、勝てる勝てる♪なんて余裕も自信もありませんでした。。

 さて、そんなネガティブマインド全開な監督を尻目に、選手諸君はほとんど何も考えずにまるでプレッシャーを感じさせない楽しげな顔で、ダイヤモンドへ散らばっていきました。

 1回オモテ那覇の攻撃。先発マウンドはいずみ。小さな手ならではの独特な球筋が何回まで通用するか。。問題の立ち上がりはいかに…。

先頭打者…三振。ほほぅ。助かった。

2番…三振。へぇ、打ちにくいのかな。

3番…ピッチャーフライ。チェンジ。 ……あれ?あれあれ??みんなニコニコして帰ってくるぞ?
 
 まさかの最高の滑り出しに、私も選手たちもいきなりテンションが上がりました。
 でも、まぁ、たとえ0点に抑えても、こっちが1点も取れなければ勝てませんからねぇ…というわけで

 1回ウラ高岡の攻撃。

1番コータ…バッコーーン!!うわ、打った!いきなりクリーンヒット!練習しないのになぜ打てる!
2番ハヤト…(暴投の間にコータは2塁)セカンドゴロで進塁打のチームバッティング。よしよし。
3番コーセー…捕手の3塁牽制悪送球の間にコータ先制のホームイン!コーセーは内野フライでランナーなし。
4番岡林…フォアボール。すかさず2盗!
5番ユウト…フォアボール。2アウトランナー1・2塁!
6番アイト…暴投さらに悪送球で岡林がホームイン!まさかの2点目!アイトは内野フライでチェンジ。

                 1回裏の攻撃!!!!!!

と、なんと予想外の展開で2点先取。続く2回はいずみがまたも好投を見せますが両チーム無得点。

そして、いよいよ「魔の3回」が訪れたのであります。。。


日記の倉庫

軟式野球部全国大会出場!2010年の日記

〜最終章〜 「最後のダ者」

 あけましたおめでとうございます。年始のご挨拶もできないまま1月下旬になってしまいました(;_;)

 半年かけて野球一試合の話がようやく終了という、坂の上の雲もびっくりのペースでお届けしてまいりましたが
今回でむりやり9回までお伝えしてひと段落と考えている次第であります。

 えー、序盤の点の取り合いを終え、中〜終盤のお話をというわけですが、しかしこれがうちの岡林、那覇の大城君ともすばらしいピッチングでありました。
 5回裏に本校5番コーセーのシブいライト線2塁打から相手エラーがらみで1点をもぎ取り4−3。

 強豪那覇商業相手に4−3とふんばる投手陣のために7回裏、イケメン初心者カズが見せます…が…↓。

   かっこいいのか悪いのか

 
 エース岡林は5回から9回までの5イニングを、被安打3、四死球2、4奪三振の無失点。
守備にたびたび足を引っ張られながらも集中力を切らさず我慢のピッチングで打線の援護を待ちます。

あと1点!…しかしその後は大城君の速球を打ちあぐね、1点が重くのしかかる中、いよいよ9回裏、高岡高校最後の攻撃を迎えることになったわけであります。

 しかし打順は6番から。ここまでチーム全体でもわずか3安打。4〜8番がノーヒットと抑え込まれていました。

先頭6番アイト…外角をひっかけてしまいショートゴロで1アウト(;_;)
次は7番いずみ…速球に意識が行ったのか低めのスローボールをひっかけピッチャーゴロで2アウト(;_;)
いよいよ後がなくなりました。

次はマサの打順。

ここで、私は代打を送りました。
代打は「ノムさん」。
誰が見てもわかる、素人。
野球のルールもおぼつかない。
たぶんヒットは打てないだろう。
いや、バットに当てられるかもわからない。

それでも、練習の時には後片付けやボール拾いを自分から手伝い、練習が終わってから「先生打ってもいいですか」「キャッチボールしたいんですけどいいですか」と聞いてくる彼を、1度でいいから試合に出してやりたいと思いながら3年を過ごした私にとって、この9回裏2アウトの打席は、「ここしかない」
と思える場面だったのです。

きっと、映像はじめの10秒を見るだけでも、彼の「ド』が付くほどのまじめさであったり、一生懸命さであったり、か弱さであったり、そういうものが伝わるのではないかと思います。

 
      がんばれ!!ノムさん!!!!


こうして、高岡高校定時制軟式野球部の初めての全国は終わりました。

でも、経験者も少ない中、ここまで競った試合ができるとは思っていませんでした。
選手のみんなは、「やりきった!」という感じでしたし、那覇商業の選手の底抜けな明るさにもどこか感化されるところがあって、敗因が誰とか、あのエラーがどうとかいうことがなく、気持ちがよかった。


       宴のあと

さて、こうして半年間にわたってチンタラとお伝えしてまいりました全国大会レポートですが、
今回をもちまして無事終了〜〜とさせて頂きます。お付き合いありがとうございましたm(__)m




最後に。

なななんと。

定時制軟式野球部が、


今年度の高知県児童生徒表彰をいただくことになりました━(゚∀゚)━!!

どうしよう。ユニホームで行かそうか。あかんあかん。スーツやな。いずみ…どうしよう、仕事の作業着しかないって言ってたな…。しかし、めでたい!(17:42)



2011/1/24(月)

〜第5章〜 いずみ、心のむこうに

 すでに「月刊誌」の様相を呈して参りましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。
続き。

 2回途中から那覇商の投手が大きな大きな体の大城君に交代し、ゆったりしたモーションから繰り出されるスナップの効いた速球に、高岡打線は沈黙を余儀なくされていました。

 追加点が期待しづらくなった雰囲気の中、先発のいずみは3回表のマウンドへ向かいます。14時近く、空は完全に晴れ、おそらくグラウンド上は40℃近い暑さになっていたでしょう。なんとか4回まではいずみで行きたいが…1・2回の出来からすればいけそうだな、と思っていました。

しかし。。
 先頭打者にセンター前クリーンヒット。その後内野安打などで1アウト2・3塁と最初のピンチが訪れます。
ここでちょうど打順が一巡。いずみの球はナチュラルに変化しますが球速が打ち頃で、慣れられるとつらい…という嫌な予感がここであたってしまいます。1番バッターの左中間を深々と破るスリーベースで一気に同点('A`)

 2アウトとするもランナー3塁から、4番バッターの正面の打球をチビッコギャングコータがはじいてしまいついに逆転。。

 魔の3回表、逆転を許す    


 さきほどの内野安打もこの当たりも記録はヒットですが、どちらも事実上はエラー。
ここで、いつものいずみなら腐ってしまっていたところ。しかしいずみは多少疲れを見せながらもドンマイと。

 いいなぁ。大人になったなぁ。
 僕の前ではあんまり感情をあらわにしないいずみですが、実際は誰よりも全国出場を喜んでいたのは彼女だったのかもしれません。四国で優勝してから出身中学校へ何度か顔をだし、世話になった先生たちに嬉々として報告をしていたということを、後から知りました。全国出場を誇らしげに語り、学校が楽しい、野球をやってて良かった、と言っていたと、大会が終わってから、中学校の先生から聞きました。

             

 さて1点を追う3回裏、高岡の攻撃は3番コーセーから始まる好打順でしたが、ショートゴロ、一塁ファールフライ、三振、と3者凡退。つづく4回表、那覇商にさらに1点を追加され4-2となって、試合は中盤5回へと進むのでした。
そしていよいよ、2点のビハインドを抱えて、エース岡林がマウンドへ登ります。(17:15)

    

2010/11/25(木)

2010/10/22(金)

〜第3章 決戦、大田スタジアム〜

 歌舞伎町の喧騒と試合前日の緊張のせいで浅い眠りのまま目覚めた8月10日AM7:30。窓を開けると…雨…。。まぁ予報では午後には晴れ間が出るということでしたし、小雨なので試合は余裕でできる程度。

 さて、選手諸君もさすがに早起きだろうと思いつつ各部屋を回ると、まぁ、寝る寝る寝るね。緊張とか不安を感じる神経がうまく作動していないのではあるまいか。いや、このぐらいの図太さがうらやましいというべきか。

 「おい、(#゚Д゚)ゴルァ!!あと30分で出発や!起きんかい!」
 「う、う〜ん…あれ?もうこんな時間?あと5分寝かせて」
 「彼女か!ヽ(`Д´)ノ さっさと起きれ!」


 なんとか予定通り出発。バスは首都高をとおり一路、大田スタジアムへ。


「晴れテーラァ!」
東京港よこ、羽田空港そば、お台場まで数分。まぁ立派なグラウンド。全面人工芝。


 バックネット裏に上がると、第1試合「東京・都立飛鳥高校VS大分・大分工業高校」が行われており、まれに見る激戦を繰り広げておりました。6回裏を終わって6−0で大分リード。見ている我々も「7回でコールドかな。早めに来といて正解。」と見ておりました。
 しかし。。結果は7−6で都立飛鳥の大逆転勝ち。飛鳥も大分も、ベンチ・選手ともに非常によく声が出ていて、熱い、いいチームでした。飛鳥にいたっては最終的に準優勝したのですから、いい試合を見られて良かったと思います。

 さて、この第1試合が3時間を越すとなったため、我々の試合開始は11:30の予定だったのが12:40に。予定の11時半の時点では、雨は上がって曇り空。はっきりいってベストコンディション。しかし…午後1時、写真のとおり雲は次第に遠ざかり、見事に晴れてきたじゃありませんか。

 これがのちに、自他共に認める高岡ナインの「体力不足」をばっちり露呈することになるとは、このとき誰にも予想できなかった…わけがなかったのであります。

 準備運動の段階で選手諸君の口から次々と発せられる「やばぇ、晴れてきた、暑いやんか」という、およそ高校球児のものとは思えない言葉の数々(;_;)。まぁ体育の授業も野球の練習もすべて「夜」で、真夏の炎天下の試合は慣れと覚悟が必要。四国大会を勝てた要因のひとつには、ずっと曇り空だったというのもありましたね…。

 しかしこの期に及んでは、苦手な「気合・精神力」と、これならできる「こまめな水分補給」by大会公式認定飲料ポカリスエット(飲み放題)によって、何とか乗り切るしかございません。

  いざ、プレイボール!!!!!

 ともあれ午後12時40分、円陣とともに飛び出し整列しにいく彼らを待っていたのは、強豪と恐れた那覇商業との予想外の試合展開と、予想通りの暑さだったのですが。。(14:50)

2010/9/15(水)

想像以上の反応を示した警視庁前。
あらかた「相棒」か「警視庁24時」の影響。

全員テンションが上がった国会前。
終戦記念日が近いためか厳戒態勢。

最高裁の前を通り過ぎる。
M君「最高裁っていくつあるが?」。 

〜第2章 見知らぬ、球場 〜神宮に立つ

 8月9日(月)、7時50分ホテル玄関集合を徹底するも7時40分に起きる者5名。8時20分の球場集合時間には間に合ったものの、開会式会場である神宮周辺は台風の影響で雨模様。

 初戦の会場が大田スタジアムである我々が神宮球場に立てる機会は、初戦に勝たない限りこの開会式が唯一であり、是が非でも決行を願っておりましたところ何とか雨もやみ、無事13人の選手揃って入場行進できました。
バックネット裏の甲子園並みの大応援団は広島県代表校の保護者団です。何の違和感もなく我が高岡高校応援団として思い込むことが可能なまっかっか仕様。それにしても神宮はイイ!

   
右隣も赤ヘルとは…。2つ左が那覇商業。       正面入口前で一枚。晴れてクレヨン…(;_;)


 悪天候のため淡々と進んだ開会式を終え、ホテルへ戻った私たちは、野球と並ぶメインイベントである「観光」へと繰り出しました。観光といっても「行きたいところへ自分で行ってこい!わしゃ秋葉原に行くんじゃ!一緒に生きたいやつはついてこりゃええ」というもので、俗にいう自由時間というやつです。

 しかしながら可愛いもので、結局全員「とりあえず秋葉原」と着いて来ることに。

 それならば、と、貸切バスの運転手さんにお願いして全員を秋葉原まで乗せて行っていただくことにしまして、ここで我ながら名案が思いつきました。新宿から秋葉原までいくつかの名所の前を通りながら行ってみよう!

 ということで

 防衛庁の前をとおり〜靖国神社の前をとおり〜最高裁判所の前をとおり〜国会議事堂の前をとおり〜警視庁および桜田門の前をとおり〜皇居前広場をとおり〜石丸電機の前へ到着、と。

 この思い付きがことのほか好評で、みんな「おぉ!」「見たことある!」「写メ!写メ!」とケータイでパシャパシャ。やっぱりこの子達にも修学旅行を味わわせてあげたいもんだな、と思いました。


  

 





 目的地(基本的に私の)である秋葉原へ着くと、各自勝手にばらけていきまして、「適当に見て回って渋谷いくわ」「AKB48のとこ(ドンキホーテのこと)行ってからお台場いってみる」などなど。

 感心感心。行ってこい行ってこい。それでこそ私が心置きなくパソコン&デジタルグッズ屋巡りができるというものだ。

 基本的にうちの野球部員にはヲタと呼ばれる者がおりませんで、せいぜいエヴァンゲリオン。パソコンには興味もなく、「まぁみんな秋葉原の雰囲気を見るくらいだろうな」と思っていたら案の定、口では「メイド喫茶、萌え」といっていた子らも実際には足がすくんで行けなかった模様。

 それぞれ、渋谷原宿お台場と好きなように遊んで回ったようで、お土産も買い込んでみな満足といった一日でございました。ちなみに私は6時間秋葉原のみで過ごしました。

 さぁ、いよいよ翌10日は沖縄・那覇商業との第1戦でありますが今日はこれで。(18:40)

2010/9/8(水)

 野球の続きを書こうと思いましたが本日衝撃的な場面に出くわしましたのでそれを。

現在、高速道路の高知ICから須崎IC間が来年3月いっぱいまで実験的に無料化されておりまして、交通量が非常に増えているわけです。無料化の前後では実に事故発生件数が3倍になったといいます。私も毎日の通勤に使っていますが、まぁ車が多い。夜10時に帰るときでもまだ多い。

 当たり前ですが免許さえ持っていれば高速を使うのに資格や条件なんて要りませんから、「この人は高速に慣れてないな」というのが一目で分かるような運転をする方も、この数ヶ月で何度も見てきました。70キロ制限の道を50キロで走るおばちゃん。下り坂になるとブレーキをかけまくるおいちゃん。ETCの差し忘れが気になったのかゲート手前の分岐で完全停止するおばあちゃん。

 無料になった高知道では、先月だったか女性運転手がネコか何かの死体に驚いて急ハンドル→横転というケースや、対向車線はみ出しの死亡事故も起きています。こうした事故の多くに、高速道路に乗りなれていない人たちが絡んでいるだろうことは想像に難くありません。

 高知〜須崎間は片側1車線で、中央にはポールが立ててあるのみですから、乗り慣れていないと特にトンネルなどでは対向車線の近さにかなりの圧迫感・恐怖感を覚えます。

 そんななか、今日のお昼の出勤時のことです。私が下り車線から土佐IC出口へとハンドルを切った瞬間、4台前のトラックが急ブレーキ!! そこは料金所手前の下りカーブで、もともとゆっくりめで走っていたため後続車も私も無事に止まれたのですが、「なんだよ一体!?」と思って見ると、なんと、高齢者マークをつけた軽トラがこっちへ向かってのそのそと走ってきているじゃないですか。

 「まさか…逆走!?」

 「間違いない。。逆走だ。」

 停車した前方の運転手たちはこぞって「止まれ!逆だよ逆!あっちだ!」とむかい側を指差して逆走おじいちゃんに教えていました。

 逆走おじいちゃんは横に座るおばあちゃんと顔を見合わせ、「あれぇ?逆かえ?」といった顔で、とりたてて慌てる様子もなく。。なんとか本線進入という末路を迎えることなく方向転換を始めたのでした。。

 「高齢者の逆走事故」というニュースを見たことは何度かありましたが、実際その現場に出くわすと、たとえ寸前で食い止められたとはいえ恐ろしいものがありました。あと数十秒、降り口に向かう私たちの車列が遅ければ、あの軽トラは間違いなく本線に入り込んでいました。

 もとより高齢者人口の多い高知ですが、さらに高齢者の多い山間部ほど公共交通手段が未発達で、道路だって狭いにもかかわらず生活全般に自動車移動が前提という構造。

 期間限定の高速道一部無料化は、たしかに便利で恩恵にあずかる人も多いのですが、事故を起こさなくとも、巻き込まれる可能性は有料時より格段に高いということを思い知らされました。

 あぁ、そうだ。この場を借りて…実父殿。動体視力や運動神経は否応なしに年齢とともに低下いたします。もうすぐ○○歳。クルマ(準ラリー車)の性能をあまり生かさない走りにしてくださいませ。
(20:10)


2010/9/7(火)

 もろもろの後処理もひと段落!やっと更新できます。行ってまいりました全国大会!
せっかくですので試合結果の報告だけではもったいない、と思い、出発から帰校までを長期企画でお届けいたします。

〜第1章 静止したバスの中で  〜旅立ちの日〜

 8月7日(土)深夜0時すぎ学校出発という過酷なスタートをさらに豪雨がお見舞いしてくれる中、わが定時制軟式野球部15名は中型バス一台に乗り込み東京へと向かいました。

 ほぼ12時間ひたすら寝て過ごす猛者もいれば、不慣れなバス泊になかなか寝付けない者、「僕は1時間でも酔うから、酔い止めは必需品」といいながら持ってくるのを忘れ、乗る前から真っ青な顔をしている者、そしていつも夜型で目はギンギン、修学旅行気分でテンションMAXな者。。そこはもうちっちゃな動物園(*^▽^*)

 とにもかくにも無事全員揃って全国大会へとスタートできたことでホッとした私は、眠りに襲われるどころかどの生徒よりも目が冴えてしまい、無駄に3セットも持ち込んだトランプを取り出し、寝そうにない生徒を巻き込んで「大富豪」を4時過ぎまで楽しみました。

 いまどきの若い衆は大富豪に「8切り、10捨て、7渡し」などの様々な新ルールを作り出しており、私も、「革命(4枚同じ数字のカードを出すことでカードの強弱を逆転させる)」によって大富豪から引き摺り下ろされては、「資本主義」「ロシア革命」「身分・階級の固定化」などについて訥々と説きながら、気のない相づちを打つ労働者諸君とともに車窓から日の出を拝んだのでありました。

 ほとんどの生徒が目を覚ましたのは8時半くらいだったでしょうか、既にバスは浜名湖SAに到着していました。
 「うわ、すごい、サービスエリアにスターバックスがある!」と、おのぼりさん風情を漂わせながら、エース岡林は眼前に広がる浜名湖の大きさと、早朝からごった返すあまりの人の多さに衝撃を受け、「たまには県外に出にゃいかん、高知は狭い」と、竜馬のような言葉をつぶやいていました。
←ほとんど雲に隠れた富士山
 残念だったのは、天候が悪く富士山を拝めなかったことでしたが、お昼過ぎには無事に新宿のホテルへ到着。ここから半日の自由時間、嬉々として遊びに行くかと思いきや、みんなここへ来て疲れが押し寄せたのか「とりあえず寝る」と引きこもり。夕方になって、歩いていける近場の「ドンキホーテ」へ出かけてゆくのでした。

 引率者として気が気でなかったのは、ワルガキたちが悪させずちゃんとホテルに戻る時間を守るかということでしたが、コンクリートジャングル東京の放つ独特の空気に不安や恐怖を感じたのか、みんなちゃんと部屋に戻っていました。だってそこは、泣く子も黙る歌舞伎町のど真ん中なんですもの。
 夕暮れとともに、真っ黒いスーツとテロテロと光るシャツに身を固め、茶褐色の薄い胸板をおっぴろげ、茶髪がビンビンと天までそびえるハードセットでみんな同じに見えるイケメンホストたちが何十人、いや何百人も闊歩をはじめるその異様な光景に、土佐から出てきたわれら田舎侍たちはみな本能的に恐怖を感じ、「これは夜は外に出られん」と客室に閉じこもったのでした。

 さて、明くる8月9日(月)は神宮球場で開会式となるわけですが、今日はこれにて。(17:05)

2010/8/27(金)

無念!4−3の惜敗!

2010/7/30(金)

 愛媛代表・今治精華との決勝戦。幸運だったのは、雨があがり、湿度こそ高いものの雲に覆われて気温が上がらなかったことで第1試合での体力消耗を最小限に抑えられていたことでした。濱田が第1戦を完投したことでエース岡林を温存でき、満を持して決勝マウンドへあげることができたのです。

 調子の波が激しい岡林ですがこの日は直球の伸び、コントロールともに冴えていました。3-0のリードで迎えた5回表の今治の攻撃。センターへの速い打球を濱田が後逸してしまい、バッターランナーも返って3-2。いつもならプッツリ切れていた岡林ですが、濱田の第1戦の投球をそのセンターから見ていて感じるものがあったのでしょう。かつてのように集中力を切らすことがなく、淡々と投げる姿に成長を感じました。この粘投に打線も奮起。取られてすぐの5回裏、さらに6回裏に1点ずつを取り、岡林も穴のない今治打線を何とか振り払って、5-2でゲームセット。悲願の初優勝を達成することができました。


 いいなぁと思ったのは、荷物を片付けグラウンドの外に出ると、ウチの選手と今治精華の選手が談笑していたことでした。全国出場では大先輩の彼らから、全国大会の様子や、あるいは東京の観光(遊び!?)スポットなどを話していたようでした。毎年のように四国大会で顔を合わせ、決勝で戦ううちに、自然と互いの力を認め合っていたのではないでしょうか。「頑張ってよ」「ありがとう」と分かれていく様子はまさに「球友」。いい好敵手に出会えて、良かった。

 ちょうど、そんな彼らがうまれたころ。高校で野球を始め、レギュラーなど遠く及ばなかった頃の自分を思い出しました。初めて試合に出た日も、初めてホームランを打った日も、タイムリーエラーをしでかした日も、サインを見落として監督にケツバットを食らった日も、最後の夏の大会で負けて控え室でみんなで泣いた日も、20年近くたった今でも鮮明に思い出せます。

 へたくそだった僕が、今でも友達と草野球チームを作ったり、こうして野球に関わっていられるのも、やっぱりあの頃の「球友」の記憶が根っこにあるからです。練習の帰りに、いつもの駄菓子屋で決まってみんなで60円の「チェリオ」を飲んでいた、オレンジ色の夕陽と田んぼ道の記憶。
 定時制野球部の彼らにとって、10年後・20年後、今年の夏がそういう記憶の一部として残っていてくれれば、これに勝る幸せはありません。


 第57回全国高等学校定時制通信制軟式野球 全国大会は、8月9日(月)から、神宮球場を中心に開催されます。わが校の初戦は、10日(火)午前11:30、大田スタジアムにて、沖縄と宮城の勝者と対戦します。(16:40)

 

思えば、昨日までここに載っていたのは昨年の県体優勝の報告…(;_;)
しかし今日、やっと更新報告ができます!

去る6月20日、松山市で開催された四国大会で、ついに!!ついについに!!
叶わぬ夢、超えられない山、どこまでも立ちはだかる永遠の壁だった、あの今治精華高校に勝利する日が来たのです!それはまさに、弱小球団広島東洋カープが悲願の初優勝を遂げたあの日(1975年9/27)のように。。

振り返ること6年前の平成17年。ただ野球が好きというだけで集まった10人の生徒で立ち上げた軟式野球部。ユニホームも揃わぬまま挑んだ初めての県体で、高知北高校に初戦で完敗。わが定時制野球部はこの日からが本当のスタートでした。

楽しさと悔しさを胸に、ユニホームを新調して臨んだ翌平成18年。県体初優勝、そして当時の目標であった四国大会出場を果たしましたが、決勝戦、4-2で惜しくも全国出場を逃したのでした。その時の相手こそ、宿命のライバル(片想い)今治精華高校だったのです。

平成18年・19年・21年と、3たび挑んだ四国の決勝。いずれも今治精華に完膚なきまでに叩きのめされ、選手はともかく監督の私が「これは僕がいるうちには勝てん…」とさえ思ってしまうほどでした。

4度目の挑戦となる今年。四国大会は一度雨天延期され、20日の決行も危ぶまれていました。当日、どんより雲のなか出発したバスが松山市内へ入るや突然の豪雨。「まさか……抽選?」の言葉が頭をよぎりましたが、なんとか雨も上がり、グラウンドもスタッフの皆さんのおかげで試合可能。

初戦の香川・丸亀高校戦、本校の先発投手には女子選手の濱田を選びました。決勝はエース岡林で最後まで押すことを決めていました。女子とはいえ、体幹の強さは男子並みの濱田は、一人で7回を投げきり、9-5で勝利をおさめました。1年生・新入部員のキャッチャー梅下も3度盗塁を刺すなど濱田を支えました。

そして決勝。相手はもちろん今治精華。先発はエース岡林。日ごろは彼女のことしか考えていない色男が、目の色を変えて「絶対勝つ。死ぬ気でやる」とマウンドに向かっていくその後姿に、「ホレてまうやろ!」の文字が浮かんでは消えました。

さて、いまから1学期の終業式。つづきは次回。

あ!週明け20日に高知新聞さんが取材に来てくれることになりましたヾ(≧-≦)〃お楽しみに。
(17:50)

2010/7/16

松山マドンナスタジアム。優勝記念撮影。

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力投する女子選手の濱田さん。力強い。
初の全国大会出場決定!!
祝 軟式野球部 四国大会初優勝