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木 造 薬 師 如 来 及 び 両 脇 侍 像 (附 木造十二神将立像)


 
   もくぞうやくしにょらいおよびりょうきょうじぞう  (もくぞうじゅうにしいしょうりゅうぞう)

 

   重要文化財 (美術工芸品 −彫刻− )       指定年月日 : 明治44年 4月17日



   高知県高知市長浜 雪蹊寺(せっけいじ)   ・  雪蹊寺 
         


   像高は、薬師139.5cm、日光菩薩174.6cm、月光(がっこう) 菩薩174.1cm、十二神将(10軀(く) )83.3〜89.8cm。
   いずれもヒノキの寄木造(よせぎづくり)、玉眼(ぎょくがん)の像で薬師三尊は漆箔(しっぱく)、十二神将は彩色を施す。
   中尊(ちゅうぞん)の薬師は明るくさわやかな表情を顔面に刻み、膝張りも大きく、ゆったりとかまえた体部の過不足の
  ない肉付けと相まって、いかにも中央仏師慶派(けいは)の作らしいみごとな作風で、衣褶(いしゅう)の自然な彫法は鎌倉
  新様(しんよう)の新鮮さを感じさせる。
   両脇侍も面貌(めんぼう)の肉取りにいくぶん違いはあるが、細身の体部のつくり、対称的な姿態、衣褶の彫り口など、
  垢(あか)抜けした美しい姿である。
   十二神将は胎内墨書銘により、文永11年(1274)から建治2年(1276)にかけて、筑後仏工海覚(かいかく)という地方仏
  師の手になるものとわかる。
   雪蹊寺は、四国八十八ヶ所霊場第三十三番札所である。