たにじちゅうのはか 高知県史跡 指定年月日 : 昭和28年 1月29日 高知県高知市横浜東町 清川神社 浦戸湾の西岸、瀬戸の北東、県道の東の箕越(みのこし)山の山上にある。 谷時中は、藩政初期の儒学者。 浄土真宗の僧侶の息子。 若くして瀬戸村真乗寺に入り、慈中と称した。 しかし、南村梅軒の門人である長浜雪蹊寺の僧天質について儒学を修め、還俗して時中と名乗り、儒者として 自立した。 儒教倫理の普及に関心が深かった土佐藩執政野中兼山は、時中に師事した。 時中は、土佐南学を再興し、兼山、小倉三省、山崎闇斎らの俊秀をはじめ、多くの門弟を育てたが、一生仕官し なかった。 慶安2年(1649) 死没、箕越山の山上に墓が築かれた。 大正時代、土地の有志が時中の遺徳をしのび、墳墓上に小祠を建立し、清川神社と名付けた。