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南   学   発   祥   地



   なんがくはっしょうち



   高知県史跡                      指定年月日 : 昭和28年 1月29日



   高知県高知市春野町弘岡中
         


   土佐南学の開祖と伝えられる南村梅軒が、儒学を講義した講堂跡と推測される遺跡。
   梅軒は、周防山口の大内氏の家臣。
   天文年間(1532〜55)、弘岡に居城を構えて近辺に勢力を張った吉良宣経に迎えられ、吉良城南麓にあるここで
  儒学を講じたと「吉良物語」にあるが、史料的確証に乏しい。 梅軒は、宣経没後、山口に帰った。
   彼の教えは朱子学と禅学を調和させたもので、その学統は、雪蹊寺の天質、宗安寺の如渊、吸江寺の忍性に
  伝えられた。
   天質から学んだ谷時中は、土佐南学興隆の祖として名高いが、時中の教義は朱子学に純化していて、梅軒の
  ものとは性質を異にする。
   いずれにせよ、ここが土佐南学発祥の地と伝えられ、石碑が建っている。