つのちかただのはか 高知県史跡 指定年月日 : 昭和28年 1月29日 高知県香美市土佐山田町神通寺 津野神社 ・ 津野神社 津野孫次郎親忠の遺体は、物部川の右岸、土手を下って西に2kmほどの岩村郷の中心である神通寺村の旧孝山 寺内に鎮座する小祠津野神社に埋葬され、観音堂に北に墓碑がある。 親忠は長宗我部元親の3男で、高岡郡半山城主津野勝興の養子となり、父元親が豊臣秀吉に降伏したとき人質と なり大坂に送られたが、後には朝鮮の役にも出陣、須崎経営にも手腕を振るった。 しかし、元親は4男盛親を後継と定めたため、家中は動揺、親忠に謀反(むほん)の企て有りとの讒言(ざんげん)を生じ、 元親は親忠を岩村郷孝山寺に幽閉した。 元親没後、当主盛親は、計らって兄親忠を切腹させ、長宗我部氏滅亡の原因をつくった。 田園に佇立する五輪塔は、親忠の悲運を今に訴えている。