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帰     全     山



   きぜんざん



   高知県史跡           指定年月日 : 昭和28年 1月29日



   高知県長岡郡本山町本山  ・  本山町  



   本山町市街地の東、吉野川北岸の樹木に覆われた小高い山が帰全山で、雁山とも呼ぶ。
   本山は藩政初期には野中氏の知行地で、執政野中兼山が慶安4年(1651)に没した実母秋田氏万をここに葬るに
  際し、火葬をとらず儒家の礼により土葬したことで有名。
   学友の大儒者山崎闇斎は、翌慶安5年に、『帰全山記』を物し、文中に「父母全而生之、子全而帰之、可謂孝矣、
  ・・・・・・宜号帰全山」と記し、ここに帰全山の名が起こった。
   寛文3年(1663)、兼山は執政を免ぜられて急逝、潮江村(現高知市)に葬られたが、およそ100年後の延享保2年
  (1745)、兼山の偉業を追慕する有志らにより、この地に野中神社が創建され、今に至る。
   社域には兼山銅像(昭和44年建立)がある。