よしむらとらたろうたくあと 高知県史跡 指定年月日 : 昭和44年 8月 8日 高知県高岡郡津野町芳生野(よしうの) ・ 津野町 津野町役場西庁舎(旧:東津野村役場)から国道439号を天狗高原方面へ2km程北上した左手に、虎太郎ゆかり の邸宅そのものはすでにないが、復元された門がある。 吉村家は代々庄屋。 幼少より才気あり、父の跡を継ぎ、12歳で津野山郷北川村庄屋、須崎浦、下分村の庄屋を 経て梼原村大番庄屋を歴任。 その間、須崎時代に師事した間崎哲馬の感化は大きく、文久元年(1861)、土佐勤王党に加盟。 しかし、武市瑞山の慎重論に飽き足らず、脱藩し長州に走り、さらに京坂に出て尊王運動に挺身、文久3年、孝明 天皇の大和行幸・攘夷親征の先鋒たらんと大和に同志らと決起したが、幕府軍に圧倒され、鷲家口で戦死(27歳)。 町役場西庁舎近くの小高い丘に虎太郎の銅像があり、この地から出た維新の志士らの墓地がある。