校内の石碑 |
上林 暁 文芸碑
文芸は
私の一の芸
二の芸
三の芸である
上林さんの自筆です。
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橋田東声 歌碑
昭和6年8月に除幕式が行われ
ました。
表(左)に短歌、裏(右)に長歌が
刻まれています。
短歌は、
夕空に片照る雲のあゆみ遅く
帆をおろしたる帆柱多し |
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校歌 歌碑
正門入ってすぐ左にあります。
左は、校歌を作詞してくださった、
草野心平さんの自筆です。 |
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定時制・通信制之碑
平成20年3月、定時制・
通信制は閉課程となり、大方
高等学校定時制夜間部及び
通信制へと引き継がれました。 |
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高等学校第2代校長顕彰碑
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県立中村中学校
開校記念樹の碑
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開校100周年記念の碑
平成12年、中村高校は開校
100年を迎えました。
開校は、明治33年、西暦では
ちょうど1900年です。 |
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開校60周年記念庭園の碑 |
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宮川館跡の碑
宮川館は、全額を個人の方の
寄付として昭和10年に図書館と
して建設されました。浸水や昭和
の南海地震を経、一時は教員住
宅としても使用されたそうです。
昭和38年からは、食堂として
使用されていました。碑は現在の
食堂脇にあります。 |
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校外の石碑 |
旧制中・高女の碑
旧制高等女学校は、明治41年の
4月、現在の小姓町、商工会議所付
近に開校し、昭和4年に、現在の桜
町(幡多文化センター付近、旧制中
学校の跡地)に移転をしました。
旧制中学校は、その幡多文化セ
ンター付近に開校、昭和3年に現在
の校地(丸の内)に移転しました。 |
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旧制高女生四万十川遭難
慰霊の碑
大正4年5月12日、現具同の
桑畑からの帰路、渡し船で四万
十川を渡っているとき、遭難し、
4人の女学生が犠牲になりまし
た。
碑は四万十市不破の土佐くろ
しお鉄道四万十川橋梁のすぐ近
くに、同窓会の皆さんの手で、
平成3年に建立されました。 |
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校内風景 |
正門周辺
正門前の風景です。
左が東から、右が西から
眺めた風景です。 |
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中学校棟
高校のB棟の西に建てられて
います。 |
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補助グラウンド
かつての校庭です。新体育館と
新グラウンドができてからは、
補助グラウンドとして、
主にサッカー部とソフトテニス部
が使用しています。 |
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屋上の時計塔と国旗
B棟屋上の時計塔。
西端には、国旗、県旗、
中学・高校の校旗が掲揚されて
います。 |
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創立百周年記念会館
学校南の道路をはさんで建て
られています。弓道場、和室、会
議室があります。会議室にはいろ
いろな資料が保管されているほ
か、災害時用の食料や水などを
保管しています。
記念館入り口には、昭和45年
卒業の皆さんからの卒業記念品で
ある時計が、今も元気に時を刻ん
でいます。 |
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ミニギャラリー
A棟とB棟間の渡り廊下に
生徒の作品を展示しています。 |
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グラウンド
学校から北西方向に歩いて約
5分、谷を埋め立てて造成され
ました。中高の野球部、陸上部
が使用しています。体育祭は、
このグラウンドで行われます。 |
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寄宿舎
菁莪寮です。
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C棟の屋上から
学校の北端、最も早く鉄筋造に
なったC校舎の屋上からの風景
です。左は古城山、右は後川越し
の北方の水田風景です。 |
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雪の朝
30年2月5日、雪の朝です。
30年の年明けから、3度目の
積雪です。 |
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校外の風景 |
為松公園
上段左は、中村の町を望んだと
ころで、右は公園内の桜です。
中段左は、本丸跡、右は現存す
る当時の石垣です。
下段左は上林暁の句碑。
四万十川の
青き流れを
忘れめや
右は、幸徳秋水の絶筆の碑です。 |
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奥御前神社
学校の南西に鎮座する古い
神社で、1220年頃、土御門
上皇の幡多遷幸の際の行在所
跡に建てられた神社です。
春、参道脇の桜の花びらが
散り敷いて、桜色の絨毯になり
ました。 |
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