修学旅行パーツ作文

5/7(火)
修学旅行前日 SO記者
 ぼくは、マイコプラズマという肺炎になっていて、錠剤で治るけど、お母さんから、「明日は行けんねえ。」と言われました。ぼくは、心の中で、(ガーン。)と思いました。なぜなら一度しか行けない修学旅行だからです。
 一度外国に行っても、日本の中だからどうしても行きたかったのです。ぼくはふとんにもぐると「ちくしょーちくじょー。」と言いました。そしたら、「もしかしたら行けるかもしれん。」と言うのです。ぼくは、さっそく病院へ行きました。お医者さんにみてもらって、旅行の許可をもらいました。「やったー。」明日行けることになりました。

5/8(水)
当日の朝 IT記者
 リュックを背負って交番前にみんなが集まりました。校長先生や教頭先生、それぞれの担任の先生も見送りに来ました。みんなのお母さんも来ていました。バスが来たとき、(いよいよ出発だ)と思いました。バスの中には、寺村の小学校の人が座っていました。バスに乗って、「バイバーイ。」と言って手をふりました。校長先生が、「いろんな事を学習してきてね。」と言いました。ぼくは、(母さんと二日間、別れるのがさびしいな)と思いました。母さんに、「行って来るき。」と言うと、「がんばってきいや。」とはげましてくれました。バスに乗ってから、名野川小の人たちと合流しました。

バスの中で SK記者
 ぼくたちは広島県にむかっていて楽しみです。バスの中ではこれから何をするのかを話していて、砥部についたら自己紹介をします。とっいっていたからどきどきしながら何を言うのかを考えていました。砥部についてから自己紹介をし終わると、ガイドさんがいろいろ説明をしてくれて、途中で楽しいことを言って笑ったりしました。ぼくが知っている道後温泉のことを知っていて、「そういえばそんなところあったような?」といってガイドさんが「知っている?いい所でしょ。」と言ってぼくは「うーん」と言って考えていました。ちょっと分からないけど、歌ってくれて面白かったです。これから楽しくなったらいいと思っていたけど、その倍楽しくなりました。これから楽しくしゃべっていきたいです。

しまなみ海道 SK記者
 しまなみ海道で休憩して雨が降っていたけど、しまなみの橋があってちょうど見えたから写真を撮りました。それから雨が強くなったけどしまなみの橋を5枚ぐらいとったから満足しました。それからガイドさんが「その橋は愛媛県と広島県の境目です。」といってガイドをうけてトイレにいかずに大崎小の人を全員撮って最後は海を撮りました。それからぼくたちが乗っているバスを撮りました。それと変な石板があってそれを撮りました。それからバスに乗りました。

ビッグなお好み焼き SO記者
 今日、ぼくはおこのみ村で、広島名物のやきそばの入ったどでかお好み焼きを食べました。そのお好みやきはとてつもなく大きくて、分厚くいつもぼくはお好み焼きを5枚食べているけど、それでも、多くておどろきました。はじめは、「ググー〜。」とおなかがなりました。けど、食べ始めると半分食べると、異様におなかがはって、またみんなぼくと同じぐらいでした。だけど、ほとんど食べられない友達もいました。ぼくは「え〜。」と言ってしまいそうなくらいでした。このお好み焼きは、おいしいけど、とってもでかいから食べがいがあります。あと、一つ食べたら終わりというところでお腹がはりました。


原爆資料館 IT記者
 今日、原爆資料館へ行きました。中に大きいテレビがあって、広島のことを言っていました。原爆が爆発した映像が流れていました。きのこ雲が、すごい大きくて、友達が、「うわー。」と驚いていました。先に進むと、人形があって、服がボロボロで、皮がたれさがったりしていました。「うわー、気持ち悪い。」と言いました。他に、はだしのゲンのテレビがあって、それを見ていました。(本当にそんなマンガがテレビに出ちょったんやなー)と思いました。兵隊の着ていたものも展示していました。「こんなんきちょったんかー。」と言いました。見ていて、必要なことはいっぱいメモしていきました。

原爆 SO記者
 ぼくは、資料館に行きました。資料館の中には、様々なことが書いてあったり、物があったりしました。ぼくは、必死でメモしました。二階に上がっていくと、本物の人の指とかがありました。「うえー。これ指やー。」と言ってしまったぐらいです。次々と見ていくと、とても気持ちが悪くなりました。ビデオを見る所では、人がとけていくのやガラスが機関銃の弾のように飛ぶシーンを見ました。
 ぼくは、気分が悪くなったので、ビデオを消しました。全部見終わって、スタンプを押してから、また気分が悪くなって「ぎぇー。」というような感じになりました。
 原爆は人に恐ろしいものを見せるからいやだと思います。

原爆資料館 SK記者
 昼食の後は資料館見学です。頭の中で想像すると悲惨なものがあるのかなと思って、中に入る所にまずラクダの絵がタイルみたいになっていて、一枚一枚に死んだ人の名前が書いていて、数え切れないほどありました。「すげー、けどこんなに人が死んでしまってかわいそう。」と思いました。それから中に入ってテレビを見ました。それは「はだしのゲン」で、テレビで見るとマンガよりもっとひさんでした。はだしのゲンをかいた人は実際に被害をうけたのかと思って見るのがいやになったけど、調べなければいけないから見ました。ひさんすぎて頭の中が戦争のことでいっぱいになりました。どうして戦争というものがあったのかもわかりました。ひさんすぎてこまるくらいでした。

平和記念公園 MT記者
 平和記念公園はとっても広いです。みんなの平和への願いがたくさんつづられたり像にして表されていました。わたしが心に残ったのが二つありました。一つは核兵器がなくなった時に消えるという「平和の灯」わたしは、この平和の灯に(早く核兵器がこの世から消え去りますように)と願いました。
 もう一つは平和の子の像です。石の上で鶴を持って立っている女の人。右は女の子左は男の子が立っています。そこで、わたしは、平和を願って千羽鶴をささげました。わたしは、戦って死んだ人たちに心から、「ありがとうございました。」と言って、戦争はもう二度とないようにと願いました。世界が仲良くなるまで、みんなで心から願っていきたいです。これからも平和であるように願います。

平和公園 MK記者
 平和公園でかたりべさんの話しを聞きながら見て回りました。平和の灯は、世界の核兵器がなくなたらその火は消えてしまいます。
 千手観音の仏がありました。それに木の根っこが出たりしていました。すごかったです。ほかの岩が飛んでくずれていました。でかくて、高い石がありました。前は、木があったそうです。でも地震で倒れたそうです。やっぱり戦争はいやだな。

かたりべさんの話 MT記者
 かたりべさんの山岡さんは実際に被爆した人です。山岡さんに当時の話を聞きました。原爆ドームを見ました。「この建物はもろいです。永久保存にしています。世界遺産になっています。」と教えてくださいました。やっぱり実物はすごいな。と思いました。
 見て回った後、木陰にみんな座って落ちた瞬間のことについて聞きました。「光っただけで顔がふくれたんよ。きれいやった。」と言っていました。本当におそろしいんだと分かりました。山岡さんが病気を治すためアメリカに渡った時、アメリカ人が「アイム・ソーリー」と言ってくれたから、アメリカを憎むのではなく、戦争を憎むんだと教えてくれました。戦争は本当にこわいんだとわかりました。


野球観戦 MK記者
 広島市民球場に、広島vs横浜戦を見に行きました。球場に入るといっぱい人がいてすごく広かったです。ぼくは、(さすが、広島市民球場)と思いました。始まったと思ったら、広島のマスコットが出てきて、変なことをしていました。A君が「あいつ、おれってモテモテって思っとるんちゃう?」と言いました。始まったら、すごくうるさかったです。ぼくたちは、声も出して応援しました。ぼくは、「さむ〜。」と言いました。だって上の屋根がないからです。メガホンも買いました。ぼくたちは思いっきり応援しました。「ワー。」とすっごくうるさい声でした。ぼくも応援していました。でも、超うるさかったです。

ホテル松屋 IT記者
 今日、泊まる所は、「ホテル松屋」というホテルに泊まります。部屋に入りました。部屋の中は、自分ちよりはせまかったです。窓を開けました。すると、いやなにおいがしました。「うわっ、やっぱり都会の空気はまずいねえ。」と友達にいいました。なんか、吐き気のする空気でした。寝る時、何か暑かったです。友達がはしゃぐので、「しずかにして。」と注意しました。でも、なかなか眠れなくて、十二時ぐらいにやっと寝ました。
 朝ご飯が出た時、ぼくは一つとってもうれしかった事がありました。それは、うめぼしがあった事です。友達からもらって、七個食べました。「うれしかった。」と言いました。

次の日へ続く