高等学校長  長岡 辰治
 本校は、県東部の教育を担うべく、明治33年(1900年)に県立第一中学校分校として開校され、明治36(1903年)に県立第三中学校として独立しました。その後、昭和23年の新制高等学校令により安芸高等学校となり、そしてその翌年には、県立安芸女子高等学校(安芸高等女学校)との合併を経て、普通科・家庭科を有する安芸高等学校が生まれました。
 その間には、時代の要請に応えて商業科、工業科を設置するなどの経緯もありましたが、現在は、高等学校普通科(7学級)に、平成14年度から中学校(6学級)を併設して、中高一貫教育校として歩んでいます。本校は、令和4年をもって創立122年の歴史を有する県立中・高等学校です。
 本校のある安芸市は、高知市から東へちょうど40㎞、南は太平洋に開け、北は四国山脈の尾根にまで連なる、農業・漁業・商業の町です。現在の人口は約1万6千人と決して大きい町ではありませんが、個性ある人物を数多く輩出しています。三菱財閥を造った岩崎弥太郎、異色の小説家・ジャーナリストとして名を残す黒岩涙香、「浜千鳥」「靴が鳴る」「叱られて」など日本人の心に染み入っている数々の童謡を作曲した弘田龍太郎、書道の大家として名をはせた川谷尚亭や手島右卿他、たくさんの人物を挙げることができます。
 ここに掲げた言葉はダンテの『神曲』の中にあるものです。平成12年の創立百周年を記念して、この言葉をあらたに校是として掲げました。「人としてどう生きていくべきか、どうあるべきか、しっかり考えなさい」ということです。学ぶことはもとより、スポーツや芸術、多彩な学校行事、ボランティア活動等を通じてそれぞれに《生まれたゆえ》を求めて欲しいと願っています。
この言葉は、生徒諸君にとってのみならず、指導に当たる私ども教職員にとりましても、今まさに求められている問いかけであると思います。
 中高一貫教育としての特質を最大限に生かして、地域の期待に応え、いつまでも東部の誇りとなる学校経営を目指して、教職員一同、情熱をもって教育にあたる所存です。
 本校は令和5年度から安芸桜ケ丘高等学校(機械土木科・ビジネス科)と統合し、県東部地域の「学び・部活動・地域」の三つの拠点校として、多様な生徒の個性を伸ばし、夢や進路希望を実現することができる新しい安芸中学校・高等学校として新たな歴史を刻んでいくこととなります。
                    

《人と生まれたゆえを思え、徳と知識の探究ぞ!》

中学校長  山中 恵美