18歳の春、私は晴れて高校一年生となった。北高を知ったのは中学三年生の時、皆さまざまな想いを抱え、自分に見合った高校を受
験していく。私は中学へはほとんど行ってなかった。高校を選ぶ段階で北高校も薦められたが私は家から近いこともあり全日制の高校を
受験し、みごと合格した。でもあっという間にこの高校生活は幕を閉じることとなった。それから二年間悩み苦しみ考え、でも何も答えが
出ないままただ生きてるという出来事をこなす日々を送っていた。日々の生活に後ろめたさは強く、何かしなくてはという気持ちと常に戦
っていた。
ある日パソコンで北高校のことを調べてみた。それを友達に話し、一緒に行かないか?と少し安易な気持ちを含み誘ってみた。すると
彼女は嬉しい返事をくれた。それを聞いてから私の心はあっという間に変わっていった。一人ではビックリするほど力が出せない、私はす
ごく弱い人間だ。一番始めに北高の説明会へ行った時に私はすっかり健康的な自信をなくしてしまった。あまりにも人との調和が取れな
いことへのハズカシさ、焦り、嫌悪感ばかり生まれてきた。次の面接日まで気が重かった。でもわざと無責任な気持ちを心に宿し行っ
た。思いつめて潰されてしまいやすい私にはこれがちょうど良かった。みごと合格した。
入学式は4月10日、ちょうど私の誕生日だった。そして入学式の日、北高校の近くにある神社にお参机にいった。無事卒業が出来るよ
うにと、祈ってきた。そこの神社には数本の桜が植えてあり、まるで映画のワンシーンのように風にゆられ花びらが散って、それはそれ
は見事だった。私が尊敬している人の言葉「楽しいという言葉は字のように‘楽’じゃない」その意味を今の私がちゃんと理解出来ている
かは危ういが、これから私の生活はまさにそうなのだ。‘苦しみ’の後ろに楽しみはあっても、手前においしくて甘い楽しみだけは転がっ
ていない。‘苦しみ’を乗り越えてこその「楽しみ」なのだ。世間でよくいわれるNEETという時間を過ごしてきた私にはこれから試練が待っ
ている。でもそれを避けようなんて1mmも思わない。私はそれを乗り越える充電をずっとしてきたから。喜んで泣いて笑って怒って私は北
高校という試練を乗り越えていくのだろう。そして毎年あのさくらを見に神社へ行くつもりだ。
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