学校周辺の紹介
あじさい街道
整備された用水路のほとりに咲くあじさい
毎年たくさんの町民が参加して行われる『あじさいウオーク』
仁淀川の水を堰き止めて、春野の大地に用水路が整備されたのは藩政期の始めのことでした。この用水路を、文化の薫る、町民に愛される水路にしようと、春野町では「あじさいの町づくり」が進められています。
昭和50年頃、老人クラブの人たちが十数本のあじさいを植えたのをきっかけに、花いっぱい運動へと発展し、アジサイの咲く水路沿いの道はやがて「あじさい街道」と呼ばれるようになり、今では高知県春野町の名物となっています。見頃の5月下旬から6月下旬にかけては、町内外から多くの人々が訪れます。町主催の「あじさいウオーク」もこの頃開催され毎年多くの町民が参加しています。
約5キロメートルに及ぶ街道沿いに植えられたあじさいは約一万本、町内全域では約二万本のあじさいが、色とりどりの花を咲かせます。
施設園芸
春野町は、温暖多雨な気候に恵まれ、古くから米作や園芸農業が盛んに行われてきました。町の中央を新川川が流れ、特に、江戸初期に野中兼山が仁淀村から水を引いて用水路を掘削して以来、耕地の開発が進み、農業は飛躍的に発展しました。
大正時代には、優れた農業経営によって「土佐のデンマーク」と称されたこともありました。現在は、暖地農産物の生産に適した自然的条件を生かして、ビニールハウスでの野菜作りが盛んに行われています。
出荷量の多いものから、キュウリ・ナス・メロン他にもピーマン・トマト・スイカ・花きなどが生産されており、県下屈指の施設園芸を誇っています。
西畑人形芝居
西畑人形芝居は、明治12年頃、当時の西畑村の住人・柳井十蔵と矢野小三郎によって創始された棒使いの人形劇で、明治・大正期には農民が一座を組み、農閑期を利用して中国・九州地方で興行を行い人気を博していました。昭和に入って次第に演じる者もいなくなり、二十年代を最後に見られなくなっていましたが、平成8年、多くの人々の支援を受けながら「西畑人形芝居保存会」が発足。春野町合併40周年記念式典で初公演が行われました。
片手で首を持ち、片手で人形の差し金を使う西畑人形芝居は、現代棒使い人形劇の源流といわれ、1965年にベルリンのハービック書房が発刊した『世界の人形劇』の中でも紹介されています。
種間寺
お遍路さんでにぎわう四国霊場第34番札所・種間寺
如来像がこの奥に祀られています。
創建年代は明らかではありませんが、今からおよそ1,300年前、聖徳太子の摂津四天王寺創建に携わった百済の仏工たちが、帰国の途中難破してこの地に流れ着き、滞在中に薬師如来像を刻んで航海の安全を祈願したのがはじまりと伝えられています。
シラス干し
春野漁港
シラスの天日干し
学校から車で5分ほど走ると、目の前には雄大な太平洋が広がります。春野町の漁業では、シラス干し(チリメンジャコ)にするドロメ(イワシの稚魚)漁が盛んで、太平洋に面した海岸では、ドロメや小魚の天日干しをする昔ながらの情景を見ることができます。花街道沿いにはシラスの即売所があります。
戸原海岸
太平洋に面した戸原海岸には、毎年のようにウミガメが産卵のために上陸します。しかし、海岸が昔と比べると狭くなっており、波に洗われ残念ながら孵化することなく命を落としています。そこで、平成14年度から人工孵化への取り組みを行うことになりました。その一部を紹介します。
●アカウミガメの卵の採取と孵化
卵を傷つけないようにていねいに砂を掘っていきます。
上の方の卵が見えてきました。
卵に直射日光が当たらないようにシートで陰を作って作業を行います。
卵の上下が分からなくならないようにマジックペンで印をつけます。
掘り出した卵は一つ一つていねいにバケツに入れて学校の孵化施設へ持って帰ります。
産み落とされた時とできるだけ同じ状態になるように、孵化施設の中に埋めていきます。
これが孵化施設です。縦横約2メートルほどの大きさです。
生まれて間もないアカウミガメの赤ちゃんです。
海へ放流する日までは、水槽の中で育てます。
●赤ちゃん放流の様子
放流に先立ってみんなでお話を聞きました。
クーラーの中で放流の時を待つウミガメたち。
みんなでいっせいに放流しました。
孵化したばかりの頃と比べるとずいぶんたくましくなってます。
ウミガメたちはいっせいに波打ち際に向かって歩いていきます。
波打ちぎわまでもう少しです。
海は目の前です。大きくなって戸原の海岸に帰ってきてね。
5頭のウミガメたちは水族館で飼育されることになりました。
飼育員さんよろしくお願いします。元気でね。
●動画です!
平成15年8月11日に孵化したばかりの赤ちゃんです。撮影は8月12日に行いました。みんな元気に泳いでます。