旧西土佐村の小学校・中学校 |
口屋内小学校・中学校
口屋内の集落から沈下橋を渡った
ところにあります。
明治7年に口屋内校舎として創立、
西土佐小学校への再編統合は平成
24年4月でした。
中学校は昭和52年に西土佐中学
校に再編統合されました。
平成元年には、2学級で、8人の
児童が学んでいました。
現在は、地域の集会所として使わ
れています。
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玖木小学校(跡地)
口屋内から黒尊川沿いに遡ること
およそ8km、15分、現在は集会所
として使われています。
昭和44年に閉校になりました。 |
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奥屋内小学校・中学校
口屋内から黒尊川沿いにおよそ
15km、25分、道路沿いの石段を
登ったところにあります。校舎・校庭
は整備が行き届いています。
平成元年には、4学級で、32人の
児童が学んでいました。
中学校は昭和52年に西土佐中学
校に再編統合されました。
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奥屋内小学校黒尊分校(跡地)
奥屋内小学校から、黒尊川沿い
にさかのぼること、およそ10q、
黒尊川の美しい渓流沿いに、跡地が
残っています。
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津野川小学校・中学校
西土佐分校のすぐ隣にあります。
西土佐小学校への再編統合は、
平成24年4月でした。
平成元年には、4学級で、43人の
児童が学んでいました。
中学校は昭和52年に西土佐中学
校に再編統合されました。 |
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中半(なかば)小学校
美しい斜張橋(茅生大橋)のたも
とにあり、現在は四万十楽舎として
使われています。
昭和53年には、3学級で、23人
の児童が学んでいました。 |
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須崎小学校
津野川から四万十川の支流目黒川
を遡ります。道路の南、小高いところ
に当時のままのたたずまいを残して
います。地域の方の愛情が深いこと
の表れです。
創立は明治7年、西土佐小学校へ
の再編統合は平成24年4月でした。
平成元年には、
3学級で、7人の児童が学んでいま
した。
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大宮小学校・中学校
須崎小学校からさらに目黒川を遡
ります。大規模に整備された圃場が
広がる小高い場所にあります。
休校後もきれいに整備されていて
地域の方の愛情が感じられます。
平成元年には、4学級で、45人の
児童が学んでいました。
中学校は昭和52年に西土佐中学
校に再編統合されました。
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本村小学校
江川崎から国道381号線を北へ
約5km、本村の集落にあります。
瀟洒な建築で、子どもたちへの
愛情が感じられる小学校です。
体育館の柱には子どもたちが描
いた絵が残っていました。
明治8年に江川小学校として創立
されました。西土佐小学校への再編
統合は平成24年4月でした。
平成元年には、4学級で、45人の
児童が学んでいました。
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権谷(ごんだに)小学校
本村小学校から江川川沿いに遡
ること約4km。川をはさんで、校舎
と校庭・体育館があります。
記念碑には、明治12年創立と記さ
れています。
現在は権谷せせらぎ交流館として
活用されています。
平成元年には、3学級で、17人の
児童が学んでいました。
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藤ノ川小学校・中学校
橘から四万十川を渡って、藤ノ川
川沿いに遡ること約10km、集落の
高台にあります。かつては小中学校
が併設されていて、左下の写真に
写っている校門には小中学校の校
名が刻まれています。
中学校は昭和52年に西土佐中学
校に再編統合されました。
平成元年には、3学級で、24人の
児童が学んでいました。 |
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下家地小学校
西土佐分校から目黒川沿いに遡
り、途中の薮ヶ市から松野川沿いに
愛媛県の松野町に抜ける県道を、
北へ約5km、松野川の左岸にあり
ます。
平成元年には、2学級で、14人
の児童が学んでいました。 |
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西ヶ方小学校
江川崎から、四万十川の支流の
広見川沿いに西へ約5km、広見川
の西岸にあります。すぐ隣を予土線
が走っています。
現在は住民の方が先生の西ヶ方
大学として使用されています。
六角形の時計台が印象的なかわ
いい校舎です。
創立は明治25年。西土佐小学校
への再編統合は平成24年4月でし
た。
平成元年には、3学級で、23人
の児童が学んでいました。 |
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川崎小学校(跡地)
江川崎の町中、今は市営住宅と
集会所になっています。
昭和62年に現在の西土佐小学
校の校地に移転しました。
当時、グランドは中学校と共用だ
ったそうです。 |
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江川崎中学校(跡地)
広見川沿いの小高いところ、現在
は保育所として使用されています。
昭和52年4月に、旧西土佐村内
の他の5つの中学校と統合され、
西土佐中学校になりました。 |
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旧中村市の小学校・中学校 |
片魚小学校
中村市街から約18km、住次郎
から右へ県道を約3km、片魚中か
ら片魚川沿いに約2km進むと左手
にあります。
創立は明治8年、平成元年には、
2学級で、17人の児童が学んでい
ました。 |
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常六小学校
片魚中から後川沿いに約5km、
左手にあります。
創立は明治8年、平成元年には、
3学級で、23人の児童が学んでい
ました。 |
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蕨岡小学校伊才原分校(跡地)
蕨岡から後川沿いに遡ること約
5km。沢垂トンネルを抜けてすぐ
の対岸(後川右岸)にあります。
現在は公民館として使用されて
いて、石碑、門柱、校庭から往時が
しのばれます。
校庭には、高感度地震観測器が
設置されています(下段)。
昭和50年に本校に統合されま
した。
中村市史によると、昭和44年ご
ろには、25人の児童が学んでいた
ようです。
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田野川小学校
中村市街から北へ約5km。田園
の中にあります。
創立は明治9年、平成24年度末
に休校となり、中村小学校に統合さ
れました。
平成元年には、4学級、39人の
児童が学んでいました。 |
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八束小学校名鹿(なしし)分校
(跡地)
国道321号線を四万十川に沿っ
て下り、間崎で左折し、県道をさら
に下ると、名鹿の浜に。その先、山
道にさしかかったところを右折して
少し山を登った「いちえん農場」に、
分校跡地があります。
上段は校舎がかつて建っていた
ところ、下段左は校庭跡、今は果樹
園になっています。下段右は宿直
室、当時の建物です。
中村市史によると、昭和27年ご
ろには、36人の児童が学んでいた
ようです。 |
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勝間小学校・中学校
国道441号線から、勝間の沈下橋
を渡って右へ約1km、道路をはさん
で校舎と校庭があります。
校庭には、電子基準点が設置され
ています(左下の写真)。
創立は明治12年、鵜ノ江小学校と
いう校名でした。
平成元年には、3学級、20人の
児童が学んでいました。
中学校は昭和41年4月に、明星
中学校と統合し、大川筋中学校とし
て再出発、小学校は平成14年4月
に川登小学校に統合されました。 |
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鴨川小学校・中学校
中村市街から約15km、岩田川
を遡った中鴨川の小高いところにあ
ります。
跡地は、鴨川ふれあいの館として
活用されています。
中村市史によると、昭和27年ごろ
には、小学校で68人の児童が、
中学校で35人の生徒が学んでいた
ようです。 |
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竹屋敷小学校・中学校
中村市街から約6kmの蕨岡を左
に約10km、四万十川ウルトラマラ
ソンのコースの途中にあります。
平成元年には、
小学校は3学級、20人の児童が、
中学校は3学級、17人の生徒が
学んでいました。 |
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片魚中学校
中村市街から約18km、住次郎
から右へ県道を約3km、後川に沿
って遡ったところにあります。
平成元年には、3学級で、27人の
生徒が学んでいました。
プールは後川を数百m下った、
学校からは少し離れたところにあり
ます。 |
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明星(みょうじょう)中学校
(跡地)
四万十川沿いの川登地区の北の
谷あいに跡地が残っています。
昭和41年4月に勝間中学校と統
合し、大川筋中学校になりました。
昭和36年度には、114人の生徒
が学んでいたようです。
今はゲートボール場として使用さ
れています。
下段の写真の石柱は、正門の門柱
だったと思われます。 |
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