旧大方町の小学校・中学校 |
加持小学校
国道56号線から北へ入ってすぐ
体育館が見えてきます。跡地は、
加持ふれあいセンターとして活用
されています。
昭和53年には、3学級で、17人
の児童が学んでいました。 |
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北郷小学校
国道56号線から加持川に沿って
遡ること約4kmのところにあり、現
在は、集落活動センターとして活用
されています。
平成元年には、3学級で、19人
の児童が学んでいました。
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湊川小学校
国道56号線、南郷小学校付近
から北に約4kmのところにあり、
現在は、湊川ふれあいセンター
として活用されています。
平成元年には、3学級で9人の
児童が学んでいました。
校庭をはじめ、設備は今もきれ
いに整備されています。 |
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蜷川小学校
国道56号線、下川口から蜷川
に沿って遡ること約3kmのところ
にあり、現在は、であいの里蜷川
として活用されています。
平成元年には、3学級で29人の
児童が学んでいました。
校庭はじめ、設備はきれいに整
備されています。 |
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伊田小学校
国道56号線沿いの伊田の集落
にあり、平成26年3月に休校にな
りました。
平成元年には、5学級で58人の
児童が学んでいました。 |
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馬荷小学校
国道56号線沿いの下田の口
から北へ約6km、蛎瀬川沿いに
あります。時計塔の意匠が凝って
います。
平成元年には、2学級で13人の
児童が学んでいました。 |
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白田川中学校(跡地)
国道56号線沿いの有井川に跡
地が残っています。今はミニゴル
フコース場になっていますが、整
備がいき届いています。
鉄棒が残っていました。
左の写真の防潮堤の左はすぐ
海です。
昭和47年に大方中学校に統
合されました。 |
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旧佐賀町の小学校・中学校 |
鈴小学校
佐賀の中心部から海岸沿いなら
約12km、荷稲から山越えなら
約8km、鈴の漁港のそばにあり
ます。
平成元年には3学級で7人の
児童が学んでいました。 |
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伊与喜中学校(跡)
伊与喜小学校と同じ敷地に
ありました。
往時を偲ぶものは残ってい
ません。
昭和42年に拳ノ川中学校と
ともに、佐賀中学校に統合され
ました。 |
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拳ノ川中学校(跡地)
国道56号線沿い、今は、診療所
や総合保健センター、介護の事業
所などになっています。
昭和42年に伊与喜中学校と
ともに、佐賀中学校に統合され
ました。 |
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三原村の小学校 |
三原小学校西分校
亀ノ川、県道46号線沿いに
跡地が残っています。
左側の写真の栴檀の木のあた
りに校舎があったそうです。敷地
は今より狭かったそうです。
現在は集会所として新しい建物
が建てられています。
昭和53年には、3学級で25人
の児童が学んでいました。
下段は、かつての校舎の写真で
す。三原村教育委員会から提供い
ただきました。下の三つの分校の
当時の写真もご覧ください。 |
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三原小学校東分校
上長谷、県道46号線沿いに
木造の校舎が残っています。校
舎の裏にも建物がありますが、
木と同化しているかのようです。
昭和55年に四つの分校は全て
本校に統合されました。
昭和53年には、2学級で19人
の児童が学んでいました。
下段は当時の校舎のセピア色
の写真です。 |
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三原小学校南分校
下長谷、県道21号線沿いに
跡地が残っています。
石碑には、明治7年創立とあり
ます。今は、石碑と校名の刻まれ
た正門、宿舎のあと(でしょうか)
一棟が残るだけです。
昭和53年には、3学級で26人
の児童が学んでいました。 |
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三原小学校芳井分校
三原村の南端近くの大字芳井
県道21号線の芳井橋を渡って
道が狭くなった少し先、左奥の
ほうに入っていく狭い道の先に
跡地が残っています。地元の方
に伺ってやっと分かりました。
右が、正門があったと推定さ
れる場所で、その先は左のよう
に草が茂っていて、何も残って
いません。 |
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旧十和村の小学校・中学校 |
浦越小学校
大正のすぐ西、四万十川が南に
大きく蛇行している南端にありま
す。
跡地は地域の交流センターと
して利用されており、ヘリポート
もあります。
閉校は平成元年3月。昭和53
年には3学級で21人の児童が学
んでいました。 |
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十和小学校
昭和と十川のほぼ中間、久保川
にありました。今は、福祉施設
として使用されています。
平成15年に十川小学校に統合
されました。
平成元年には3学級で44人の
児童が学んでいました。 |
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大道小学校
十和小学校から久保川に沿って
約8kmのところにあります。
中学校と同じ敷地にありました。
手前が小学校の校舎です。
平成15年に十川小学校に統合
されました。
平成元年には3学級で11人の
児童が学んでいました。 |
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古城小学校
十川小学校から長沢川に沿って
約4kmのところにあります。
平成15年に十川小学校に統合
されました。
平成元年には、4学級46人の
児童が学んでいました。 |
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広井小学校
道の駅のすぐ西を南に、四万十
川が南東に蛇行している端にあ
ります。
平成19年に十川小学校に統合
されました。
色、形、とてもかわいい校舎で
す。平成元年には3学級で22人
の児童が学んでいました。 |
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大道中学校
大道小学校の隣です。ただし、
移転したらしく、久保川をはさん
で対岸に移転前の校門が見えて
いました(下段)。立派な石垣の
上にあったようです。
平成2年に十川中学校に統合
されました。
平成元年には1学級9人の生徒
が学んでいました。 |
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昭和中学校
平成27年3月に十川中学校
に統合されました。
立派な体育館です。
平成元年には3学級60人の
生徒が学んでいました。 |
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旧大正町の小学校・中学校 |
打井川小学校
四万十川本流から南へ打井川
を遡っていくと見えてきます。
校門と石碑が残るだけで、跡地
は、今は、観光スポットになって
います。平成16年に田野々小、
北ノ川小に統合されました。
平成元年には、3学級、18人
の児童が学んでいました。
かつては、北ノ川中学校の
打井川分校もありましたが、
昭和46年に本校に統合され
ています。 |
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大奈路小学校・中学校
大正から檮原川沿いに少し遡
ったところにあります。
開校は明治5年、
小学校は平成25年に田野々小
学校に、中学校は平成17年に
大正中学校に統合されました。
平成元年には小学校4学級42
人、中学校3学級33人の児童・
生徒が学んでいました。 |
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中津川小学校
大奈路から中津川沿いに遡った
ところにあります。
平成8年に大奈路小学校に統
合されました。
平成元年には3学級13人の
生徒が学んでいました。 |
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葛籠川小学校(跡地)
四万十川の支流、葛籠川を遡っ
たところにあります。
土地の方に伺ったところ、左の
写真の場所が校庭、右の写真は
校舎から校庭に続く階段だそう
です。校舎跡には集会所が建て
られています。
昭和44年に田野々小学校に
統合されました。 |
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大奈路小学校下道分校
檮原川の津賀ダムの堰堤を対岸
に渡り、上流約1kmのところに、
跡地があります。
今は集会所になっていますが、
プールがそのまま残っています。
昭和44年に本校に統合され
ました。 |
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下津井小学校・中学校
大奈路から国道439号線を、
檮原川沿いに約18km、ダム湖
を渡った左岸にあります。
瀟洒な校舎で、今もきれいに
整備されていて、地域の方の愛
着が感じられます。
小学校は平成9年に大奈路
小学校に、中学校は平成2年に
大奈路中学校に統合されました。
平成元年には、
小学校には、3学級、11人の児
童が、中学校には、2学級、10
人の生徒が学んでいました。 |
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芳川小学校
大奈路の少し南を、芳川川に
沿って約4km遡ったところにあ
ります。
昭和44年に田野々小学校に
統合されました。
跡地は、現在、集会所として
使用されています。 |
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旧窪川町の小学校・中学校 |
家地川小学校
四万十川の佐賀堰堤(発電所)
の近く、国道381号線からは南に
入ったところにありました。
JR予土線の家地川駅のそばで
す。さらに南に進むと、国道56号
線につながります。
平成元年には、3学級で、14人
の児童が学んでいました。 |
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若井川小学校
片坂の頂上、峰の上から若井
方面に向かって2kmほどのとこ
ろにありました。平成23年に窪川
小学校に統合されました。
平成元年には、4学級、41人
の児童が学んでいました。 |
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口神ノ川小学校
旧窪川町の口神ノ川にありまし
た。開校は明治9年、平成24年
に窪川小学校に統合されました。
平成元年度には、4学級で、
34人の児童が学んでいました。
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檜生原(ひさはら)小学校
旧窪川町の川口から井細川に
沿って約6kmのところにありま
した。昭和52年に川口小学校に
統合されています。
現在は集会所として使用され
ています。碑などはなく、土地の
方に伺って場所が分かりました。 |
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