6月10日、兼山の足跡を追おうということで、春野へいってきました〜
今回案内役をしてくださったのは元嶺高の畠中先生!(ありがとうございました!!)
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まずは、行当の切抜きへ。水を遠くまで運ぶためにこの傾斜を利用しています。
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行当のきりぬきの説明と碑文。 | みんなで苦労しながら判読Timeです! |
仁淀川の治水。成る程このスケールを見れば、それが如何に悲願であったかが分かります。
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吾々が普段なにげなく眺めているこのような景色も実は途方もない苦労の跡であったりするのです。 |
さて、ところ変わって新川の落とし。なんと遍路道でもあったとか。
先生の趣味で話が逸れるのも歴探の魅力。大師堂や五輪塔の解説はさすが畠中先生です。
新川の水路幅は他より少しばかり広い。そう、ここは用水路としてだけではなく、水運のためにも使われていたとか。
恵比寿神社に白塗りの土蔵。町屋風の趣きある街並みは、かつてこの土地の謳歌したであろう繁栄を今に色濃く遺している。これも勿論兼山の事業あってこそなのです。
最後は龍馬像の前でパシャリ。幕末の龍馬、そして、その後の発展に至るまでの土佐の学問の道。兼山の築き上げたその功績に触れ、その一端を垣間見ることのできた一日でした!